活動報告・レポート
2015年10月4日(日)
お墓参り

父のお墓参りに行って来ました。一周忌が近づいてきたことからお寺での打ち合わせと買い物をして準備を行いました。夏のような暖かい日の中、これまでの経過報告をいました。お墓をきれいに磨くと心が洗われるような気持ちになるのは、年齢を重ねたからなのでしょうか。小さい頃は、和歌浦の毘沙門寺の階段を登って手を合わせていただけでしたが、今は会話ができるようになりました。

小さい頃、母に手をつながれて登った急な階段ですが、今では母は手すりを持って、ゆっくりと階段を登る年齢になっています。駆け上がる速度に差があるので、階段を登り終えた時に後ろを振り返ると、ゆっくりと登っている母が見えました。階段の上から母の姿を見ていると、今も変わらずに一緒に元気で墓参りができていることを嬉しく思い、そして少し寂しい感じがしました。歩く速度に差がなく距離もなかったのですが、年齢を重ねていくことは少しずつ距離が出てくるものだと感じたからです。

「(年齢がいくと急な階段を登れないので)いつまでお墓参りできるか分からないから、後は頼んでおかないと」と笑いながら話してくれますが、「ずっと元気でお墓参りができますように」と心の中で祈りました。

これまでの報告ができ、そして次の報告ができることを嬉しく思っています。

続いて母方の先祖のお墓にお参りをしました。先週、知り合いから「おばあちゃんがあなたを見守ってくれていますよ。お墓参りをしましたか」という問いがあり、「最近、お参りできていません」と応えたことが気になっていたからです。

知り合いは「行ってあげると喜びますよ。成長した姿を見せてあげて下さい」という会話があったことから、「会いに行かなければ」と思っていました。

思っていても行動しなければ何も変化はありませんから、些細なことですが行動を起こしました。

すると不思議なことにお墓にお花が供えられていませんでした。いつでもきれいなお花が供えられているのですが、今日はなかったのです。母に尋ねると、「弟が毎月1日に必ずお墓参りしているのですが。ただ最近、弟が首の筋を痛めて肩から上に腕が上がらなくなったのでお墓に来られないのかも知れない」と話してくれました。

もしかしたら、おばあちゃんはそのことで「寂しい」ことを、僕に伝えてくれたような気がしました。そのメッセージの話をすると、母はお墓のおばあちゃんに向かって「守ってあげてよ」とそっと語りかけてくれました。今日、母とここに来さしてくれたのは、おばあちゃんだったと確信しています。そして、いつも見守ってくれていると感じました。

母に尋ねると、おばあちゃんが亡くなったのは39歳の時だったそうです。39歳の時、食道癌のため1月5日に亡くなったことを知りました。戦後のことなので和歌山市には癌の手術のできる病院がなく、その前年の12月に神戸市の病院まで行ったそうです。車はなかったので電車で移動したのですが、病人が各駅停車の電車で神戸市まで行くだけでも大変だったと思います。今だったら治せていたかも知れませんが、1月4日に手術をしようとしたのですが既に手遅れで手術をすることができなかったのです。おばあちゃんには「手術をしたよ」と伝え、翌5日にこの世を去ったそうです。

おばあちゃんと言っていますが、その時はまだ39歳だったのですから、とても若かったのです。今だったら結婚していなくても不思議ではない年齢でもあります。若い時に母を生んで、そしてぼくが生まれたと思うと、感謝する以外に言葉はありません。おばあちゃんが39歳で亡くなった時、母は13歳の中学校1年生だったのです。

その少し前、おじいちゃんは戦争に招集されていたので、終戦前の昭和19年に37歳で亡くなっていますから、この時、母は両親とも亡くしたことになります。戦後、社会が動乱していた時代、13歳の子どもが小学生だった二人の弟を育てながら生きることは、想像できないような苦労があったと思います。それでも生きてくれて、僕を生んでくれたのですから、感謝の言葉以外に伝える術がありません。

余談ですが、おじいちゃんが戦死したのは昭和19年10月2日だそうなので、僕と誕生日が同じことになります。「おじいさんはきっと、『忘れないて欲しい』と思って、10月2日に新しい命を誕生させたのだと思います」と母が話してくれました。命の連鎖と尊さを感じることができました。

とても大切な話を聞くことができた一日になりました。歴史に埋もれていた出来事を知ることは心を大きく広げてくれます。生まれたこと、生きていることが幸せだと感じることができます。戦争、そして戦後の時代に、自らの命を賭して生命をつないでくれたのです。運命には逆らえないけれど、強い思いと愛はつなぐことができると信じて、命を申し送ってくれたのです。命を耐えさせることなくつないでいくものであり、生きた証を伝えていくことがやるべきことだと思います。

お墓に参ることで心が時代を遡り、生きることが素晴らしいことを伝えてもらい、心をきれいに洗ってくれました。秋の日が傾き始め、今日という日に感謝しました。