有田市議会議員選挙が明日告示となります。候補者の皆さんは、明日からの一週間の選挙戦を戦うことになります。未来の有田市のために選挙戦を通じて政策を訴え、躍動してくれると思います。現地入りして皆さんと話をしましたが、選挙で感じられるものは皆さんの期待です。期待こそ地域を発展させる原動力になり、期待あるところに人材は誕生します。いよいよ有田市の未来を賭けた戦いが始まります。
日本刀を楽しむ会があります。日本美術刀剣保存協会和歌山県支部の活動は、日本刀に関する研究と鑑定技術の向上を目指しているものです。本協会の例会会場には会員の皆さんが持ち寄った日本刀が並べられ、紹介や刀の見方などを教えてもらうなど、会員交流と共に楽しみました。
日本刀を手にとってみたことのある人は少ないと思います。僕もその一人だったですが、ご縁があり日本刀を鑑賞している間に、その魅力を感じるようになりました。見事に磨き上げられた日本刀は日本が誇る固有の技術であり、芸術だと思います。その昔、日本刀を帯刀した武士がいたことが信じられないように思います。本日は鎌倉時代から江戸時代までの時代の日本刀を鑑賞することができました。
いずれも名刀と言われるもので、価格にすると1千万円以上、数千万円クラスの日本刀が並べられていました。価格で価値が決るものではありませんが、価値を決める要素は価格にありますから、重要刀剣とされている日本刀の鈍くて鋭い輝きは思わず見惚れてしまいます。
鎌倉時代は馬に乗って戦っていたことから、刀は根元から大きく曲がっています。刀が根元から曲がっていると馬上でも抜きやすいようです。ところが江戸時代になると時代は安定していたことから、曲がっている刀ではなく直線に近づいています。馬に乗って戦う場面は少なくなったからです。日本刀は時代の変化に対応して、その姿形を変えていったようです。
また現代に残されている日本刀を作ったのは、その当時に名工と評価された人物のものです。武士も名人が作った良い刀は保存していたそうです。ですから日常的に帯刀していたのは汎用性の高い刀だったようです。武士が切り合うことになれば、刀の鍔が欠けてしまうことになり、使えなくなることも要因だったそうです。武士は自分の命の化身である刀、特に名人のものは大切にするという意識を持っていたことが伺えます。
そして200年以上の刀が現代に受け継がれているということは、その間に刀を所有していた人も日本刀の価値を知り、大切に扱ってきたことの証明です。現代に残っている名刀も、その間たった一人でも乱雑に扱っていたなら現存していないことになります。日本の歴史の偉大さを感じることができます。
そして興味深い話を聞かせてもらいました。鎌倉時代の名刀を見た江戸時代のある刀職人は、その鎌倉時代の刀職人に憧れ、その刀をモデルとして同じような名刀を作りたい、そして超えようとしていたことを伺い知る刀がありました。その人は紀州の刀職人なのですが、これは真似をしたということではありません。江戸時代に鎌倉時代の名刀を見て触れることのできる刀職人は、その人も一流だということです。200年以上前の名刀に触れることができるのは許された人だけですから、真似ることから本物の技術を盗むことができるのです。そして紀州から名刀が生れることになったのです。
現代でも同じことが言えます。200年以上前の作品に触れることができるのは、恐らく、その技術の第一人者、名人と呼ばれる人だけです。現代の名人が昔の技術に触れ現代風にアレンジした作品として蘇らせてくれるのです。優れた技術の伝承は、名人から名人へと伝えられるものです。
日本刀を通して、日本刀の名人達の語り合い、時代と共に技術を高めていく歴史、そして受け継がれていく技術と精神などを感じることができました。本物に触れるということは、作品を通じて名人達の会話を聴くことだと思います。
鎌倉時代、江戸時代の名人達との会話は、楽しくて心を高めてくれるものでした。