平成26年10月16日に父が亡くなったので、翌年に当たる今年は初盆の時を迎えました。
午前9時に準備を完了し、お坊さんの到着を待ちました。昨日までに大勢の皆さんにお参りをしていただき仏壇の前は賑やかに飾ってくれています。父はこの様子を見て、きっと寂しい思いをしないで済んでいると思います。この世にいない人にとって物は手に取れませんが、気持ちは受け取ることはできると思います。お供えに託された気持ちを受け取り嬉しく思っているに違いありません。
お坊さんが到着してからお経が唱えられ、心地良い安堵感を感じてくれたと思います。この世に帰っていた魂は、安心して今日の午後にあちらの世界に戻ったと思います。終戦記念日の今日、魂がこの場所に降り立ってくれて、平和な世の中と幸せな時が尊いものであることを語りかけてくれました。現代の日本社会は、これまで多くの人の犠牲の下に平和が築かれています。平和を願い、平和な国家を目指していた人達の思いが現在の国家の形になっているのです。
僕が産まれた時には戦争が終わり、独立国家として歩き出していた近代国家日本です。子どもの頃、父や母が語ってくれた戦争の話ですが、想像もできないことから中途半端に聞いていたように思います。和歌山市は空襲によって火の海となり、和歌山城のお堀に人が飛び込んだことを教えてもらいました。確か石垣には大きな穴があり、そこに逃げ込んだと聞かされたことも思い出しました。
母が疎開先の貴志川町から西の方角を見た時、和歌山市は赤く燃えていたと言います。もし母が疎開していなくて戦災に巻き込まれていたなら、私はこの世に生を授かっていなかったかも知れません。そうだったとすれば、この世に生きていることの素晴らしさや、これまでの数多くの体験はなかったものでした。生まれてきたこと、今、生きていることに心から感謝したくなりました。
今、父がこの世に存在していないことは夢の中の出来事のように思いますが、確かに存在した戦争の時代を生き抜いてくれたことで生命が受け継がれているのです。この世で何をすべきか、今日、それを自分で考えることを求められているように感じます。
社会に対しては、戦後形成されたことで日本が繁栄してきた源泉である価値観を継承すること。自分ができることとして、全てのことに対して感謝の気持ちを持ち続けること。関わる人が幸せになってもらえるように親切に接し、そのことで自分も幸せになること。
そして生命を与えてくれた両親に対する感謝の気持ちを忘れずに、受けた愛情を周囲の皆さんにお返しをしていくこと。それらがこれから生きていく上において成すべきことです。
父は今の世の中に存在していませんが、後ろから大きな力で応援してくれているように感じます。そして暑い毎日の中、初盆を迎えるに当たって来てくれる皆さんをお迎えする準備と対応をしてくれた母に対して、心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。
「やれやれ、無事終わりました」とう安堵感から出た言葉を嬉しく思いました。初盆という儀式を終え、次は10月に一周忌を迎えることになります。来年もお盆に法要を行い、こちらの世界とあちらの世界をつなぐことになります。
言葉はなくても交信しているような気持ちになれるのは、相変わらず子どもである僕を見守ってくれている母の存在と、父は今も見守ってくれていると信じる気持ちがあるからです。若い頃、お盆は夏休みとレジャーの季節でしたが、今は帰ってくる魂と語る大切な季節だと思っています。
これからも毎年巡り来る暑いこの季節、これからも生きていく上において、故人やその家族が大切なことを伝えてくれると思います。今日という一日に感謝しています。