活動報告・レポート
2015年8月14日(金)
ひまわりの花
ひまわりの花
ひまわりの花

和歌山市宮連絡所で育てていたひまわりの中の一本が小さな花を咲かせました。このひまわりは石巻市立大川小学校から受け取ったひまわりの種から育てられたもので、宮連絡所では大切に育ててくれています。今朝、「ひまわりがひとつ咲いています」と連絡をもらったことから宮連絡所を訪ねました。尤も、今日、所要があったことから宮連絡所を訪ねようと思っていたので、その相性の良さに驚いたのですが。

このひまわりの種は大川小学校からいただいた種を毎年和歌山市内で育てているもので、今回で三代目となります。紀の国わかやま国体開会に向けて和歌山県や和歌山市で育ててくれているものです。この種の元は慶風高校のグラウンドで育てていた種を和歌山県知事と和歌山市長に贈呈をして、今年、和歌山市各地にある連絡所で育成を始めてくれているものです。東日本大震災で失われた子ども達の命を忘れないために、そして命の大切さを忘れないように和歌山県内各地で、この大川小学校のひまわりを育てています。和歌山県は東北を忘れない。そして全ての命を大切に思っている県であることを宣言するように、和歌山市の各連絡所ではひまわりの花が咲き始めています。

宮連絡所の玄関には、小さなひまわりの花がひとつ咲いていました。夏の太陽を浴びながら、小さな命を与えられた赤ちゃんひまわりが大きく育とうとしています。夏の太陽の下、眩しい命がこれから育とうとしている光景から、命は輝きであり、大きく育つべきものであり、多くの人に見守られながら育っていくものであることを知らせてくれます。

このひまわりを見て、命は大切なものだと感じない人はいないと思うほどです。しかも大川小学校から受け継いだ命の物語を伝える役割を持ったひまわりですから、愛おしさと共にこれから大きく成長する過程を見守ることで、命を与えられた一人として命の尊さを感じることができると思います。

数週間前に見た時は、若い緑の茎が伸び始めているところでしたが、数週間を経て小さな花を咲かせてくれました。連絡所の職員さんが強い風や台風の影響を受けないように場所の配置も含めて大切に育ててくれています。小さな命の目覚めを感じられる小さな花を咲かせたことから、訪れる人に見てもらおうと、現在は連絡所の玄関前に植木鉢を移動させています。

これから宮連絡所を訪れる皆さんには、このひまわりから命の尊さと命を受け継ぐことの重みを感じてもらいたいと思います。小さなひまわりの花から、ここにも命が宿っていると感じ、小さな命であってもそれを大切に思うことが大切だと感じて欲しいと思います。

自分の命と同じように生きている全ての命が大切であり、生きようとして毎日のように成長する命を、温かく見守る気持ちを持って欲しいと思うのです。

宮城県大川小学校から発信された小さな命を大切にする役割を持ったひまわりが、和歌山県内において大きく成長して欲しいと思うのです。小さな命を大きく育てることで、私達が全ての命を大切にしている県民であることを発信できるのです。

紀の国わかやま国体は東北復興支援を応援する国体でもあります。その願いに相応しい取り組みを和歌山県と和歌山市は実行しています。和歌山県を訪れる国体選手や応援団は、この三年間の和歌山県の命を大切にする取り組みを知り、東北を始めとするそれぞれの地元に伝えてくれると思います。「和歌山県で開催された国体は、和歌山県民が命を大切に思い育んでいる素晴らしい国体だった」と語ってくれるはずです。後の国体開催県やこれ以降、国体開催県にまで引き継がれる命の物語を伝えられたら、後世に残る最高の紀の国わかやま国体になると思います。

後に大きな物語に発展するための物語の、始めの一歩となる小さなひまわりの花が咲いています。私達の思いで大切な命を育みたいものです。

初盆

お盆を迎えていますが、今日も初盆を迎える皆さんのところをお邪魔しました。皆さんに伝えているのですが、人は最期まで「生きたい」と思うことを実感しています。どれだけ懸命に生きてもゴールまで辿り着けないのが人生ですから、「まだまだ生きたい」と思うことは当然だと思いますが、どんな人生であっても最期の時に至ってもやはり「生きたい」のです。生きたいと思うのは、きっと今日という一日を大切にすれば良かったという後悔の念だと思います。大きなことを自分の手で達成したかったと思うのではなくて、毎日を幸せに過ごせば良かったという思いが込み上げてくると思うのです。

あちらの世界に持っていけるものはありません。自分が手に入れた全てのものを手放さなければならないのです。全てのものを手放すかわりに置いていけるものがあります。人のために尽くしたことや親切です。自分が持っているものは何一つ残りませんが、自分が手放して人に与えたものが残るのです。結局、持っているものは全てなくなり、与えたものだけが残るのです。

与えるためには、まず自分が持たなければなりません。持たなければ与えることができないからです。人生の最初の段階は能力を発揮して、必要なものを持つことから始めることになります。より良く生きるために、人生の後半戦は持っているものを人に与えることに能力を使う必要があります。

人生を山登りに例えると、山頂に辿り着くまでは登山に必要なものを得ることが目的となります。山頂に到着して山を下りる時は、重い荷物をこれから山頂を目指す人のために与えていくことが目的になるように思います。

自分が得た知識や経験を伝えること。自分が得たお金を社会のために使うこと。無駄使いは止めたいものですが、この世に残すべきものは抱えていないで使いたいものです。与えたものが残るもの。そんな気持ちで一日を大切に過ごしたいものです。