今年4月に和歌山市に転勤してきたKさんと懇談する機会がありました。全国に支店のある会社なので各都市を回っていますが、和歌山市での勤務は初めてだそうです。県外から見た和歌山県の姿を話してくれました。
前任地の大阪に勤務していた時、和歌山県で有名だったのは、貴志川線のたま駅長だそうです。和歌山県の観光と知名度の向上に大きく貢献した存在だと話してくれました。和歌山市に転勤後は、そのたま駅長に会うために貴志川線に乗車してくれています。
鉄道は移動手段という概念を壊してくれたのが、たま駅長です。駅長に会うために電車に乗る。そしてたま電車やおもちゃ電車など、電車に乗ることを目的としているお客さんもいますから、鉄道を移動手段ではなくて乗車を目的に変えてしまったのです。貴志川線が地域に与えた功績は大きなものがあります。
次に挙げてくれたのが高野山です。平成27年は開創1200年を迎えましたが、節目の年でなくても高野山は和歌山県の宝物だと評価してくれました。この会社でも高野山にお墓を所有していて、毎年、本社からも慰霊祭のため訪れていると話してくれました。Kさんも今まで100回以上、高野山を訪問しているように、全国から人を集められる聖地であり、観光地が高野山だという評価をしてくれています。
最後に意外な観光資源を挙げてくれました。御坊市にある紀州鉄道です。5つの駅を走る日本一短い鉄道ですが、このローカル色が「とても良い」という評価をしてくれました。和歌山県の見所を探した中で発見し、早速、乗車してくれています。
このように県外からの視点は観光資源発掘のためにとても大切で、観光行政に活かしたいと考えています。
和歌山ゴールドライオンズクラブの初例会が開催されました。何度か紹介していますが、ライオンズクラブは7月から翌年6月までを年度としています。7月の第一週となる今日が新体制になっての初例会で、新鮮な気持ちで参加することができました。役員体制が変わるとメンバーは同じであっても新鮮に思えるのは不思議です。ですから組織は時には役割を変えることが大切だと思います。
前三役から新三役に役員バッチの引継ぎがあり、前役員に対して新会長から感謝状が贈られました。人のために尽くす役員を引き受けてくれることは有り難いことです。自分のために尽くす人は多いのですが、人のために尽くせる人を称えても称えすぎることはありません。前役員の皆さん、本当に有り難うございました。
そして僕は新体制の中でゾーンチェアパーソンに任命を受け、一年間活動をさせてもらうことになりました。335B地区の中村ガバナーが「自分のライオンズ史上で最高の一年にしたい」と抱負の中で話していたように、新年度のスタートに際して最高の一年にしたいと思っています。
初例会では前年度の決算と新年度の予算案、国際大会の報告、外国からの学生の受け入れなどの報告があり、全て了承されています。
地域の皆さんとふれあいができる場所としてオーブンしている「ふれあいカフェ」を訪ねました。この経営主体の会社の職員さんがカフェにいてくれているので、訪問すると話し合うことができます。地域の情報やまちの姿を知ることができます。
和歌山市では、中心部であるぶらくり丁がJR和歌山駅と南海和歌山市駅と距離が離れているので、行政としてこの距離を克服することをずっと以前から求めてきた経緯があることを教えてくれました。ところが連携ができていなかったことから、中心部が衰退してきました。
そしてぶらくり丁周辺にあった飲食街が少しずつ東に移動していったため、更に衰退していったと話してくれました。飲食の中心は更に東に進み、JR和歌山駅周辺へと向かっているようです。街が動くことは珍しいことではありませんから、動くのに合わせたまちづくりを考えることが必要です。
地域の動向の情報を求めて時々、この場所を訪れたいと考えています。
道路に関する現場調査を行いました。一度も補修をしてない和歌山市道があり、ひび割れや段差があります。自転車や単車で走行しているとタイヤが溝にはまり危険を感じる道路です。またこの季節から夏にかけて、道路沿いには雑草が生い茂り、見通しが悪くなっています。除草剤を散布するなど個人として対応してくれていますが、その程度で雑草の伸びるのを防止できない広さがあります。
いくつかの要望を受けたのでこれから対応していくことにしています。ただ紀の国わかやま国体開催までに幹線道路を中心に道路供用が予定されているので、対応時期は早くて秋以降になります。
Iさんの事務所を訪問して、皆さんと話が交わせたことを嬉しく思っています。地域の道路事情などを認識していることから、普段から地域ために尽くしてくれている姿に接し、感謝の気持ちでいっぱいです。
久し振りに実家に立ち寄りましたが、何ヶ月ぶりのことなので反省しています。仏壇に挨拶をしたところ、父親の時計が飾られているのを発見しました。この時計が好きで、最後まで腕に巻いていたことを思い出しました。仏壇にあるこの時計は動いていて、失われているはずの時を刻んでくれています。動きがあることは、何故か嬉しいことです。