活動報告・レポート
2015年6月20日(土)
竈山神社清掃
竈山神社清掃

午前9時30分から竈山神社の清掃活動を行いました。主催は片桐章浩を支援する会で、土曜日の朝ですが会員の皆さんが集まってくれました。梅雨の時期、少し蒸し暑さがありましたが、みんなが力を合わせて取り組んだことで境内の一部ですがきれいにすることができました。竈山神社の敷地は約1万坪あるので清掃をしても「まだまだ」という感じがしますが、それでも清掃をした部分はきれいになっているので嬉しい気持ちになります。ひとりで清掃をしていると嫌になるかも知れませんが、みんなで話をしながら清掃をすることでやる気と充実感を味わえます。

次回は10月の竈山神社の大祭の前に清掃を行いたいと考えています。

竈山神社清掃

清掃後、宮司さんから竈山神社の由来を聞かせてもらいました。地元の人なら知っていることですが、神武天皇の長兄が東方遠征の時、この地の戦で流れ矢に当たり命を落とした場所が竈山神社です。日向の国、現在の宮崎県から海路を通り、10年の歳月を掛けて紀伊半島に入った一行ですが、この地を支配していた一族との戦となったのです。

「太陽を背にして戦うこと」を言い残して死んだ長兄の教えを守るため、一向は紀伊半島の南に回ります。その途中、次男と三男も命を落とし、四男の神武天皇だけが生き残り、熊野から山を越えて再び戦に挑み、勝利するのです。その後、大和の国を興した四男が神武天皇となるという歴史を辿って行きます。

従って神武天皇の長兄が没した場所で、その長兄を祭っているのが竈山神社ということになります。後に初代天皇となる一向が若い時にこの地で戦をしたという歴史を知るだけで、同じ場所を清掃しているという思いが湧き、清掃していることが楽しくなります。

神武天皇も同じ場所に経っていたかも知れないと思うと、わが国の歴史のロマンを感じます。

そして大和という言葉の由来も教えてもらいました。海の入り江を港と言いますが、山に囲まれた盆地のことを「みなと」に対して「やまと」と言うそうです。「やまと」に当て字で大和と記したことで大和を「やまと」と呼ぶようになったそうです。何故、大和の文字を当てはめたかと言うと、この国の人は大きな和をもって生活をすること、つまり争いのない平和な国歌を築くことを願って命名したと言うことです。

大和魂という言葉には、みんなで大きな和を作るように仲良く暮らせる国を目指す心意気という意味があるそうです。神武天皇は平和を願って大和の国、私達の日本を築き上げてくれたのです。

日向の国から大和に辿り着くまで10年の歳月を要したことにも理由があります。海路で九州から本州に来るのですが、途中で上陸し、それぞれの土地で稲作を教えながら大和を目指したのです。生きるための食料が確保することが、争いのない国づくりの基礎になることを知っていたからです。四人の兄弟は稲作を伝授しながら、争いのない国、そのために国を一つにしようとしたのです。

神武天皇の目指した国づくりの精神を知ると、現代日本が一つの国として2000年以上の時を刻んでいることに誇りに思います。この国を後世にまで伝えることが私達の役割であることを、神武天皇の長兄が眠る釜山神社の清掃活動通じて考えることになりました。

竈山神社清掃

爽やかな気持ちになれたのは、清掃で汗を流したこととこの国が出来ようとした時代に思いを飛ばし、心が歴史の旅をしてきたからだと思います。平和な日本は、この国が出来る時から目指していた精神だったのです。先人達が平和な国を目指してくれたことで、現代の日本は平和の時代を迎えています。多くの人が本気で望み祈ったことはその通りに実現します。この国の形は、約2000年前に生きた人達以降の全ての精神が創り上げてくれたものだと感謝しています。この精神を後の世に続けることを使命と考え、行動することを話し合いました。

フリーマーケット
フリーマーケット

一ヶ月に一度、JR和歌山駅前でフリーマーケットが開催されて人気を博しています。清掃後、どんな状況になっているのか見てきました。大勢の人が歩くことを楽しみながら、お店に立ち寄っていました。笑顔で会話を交わしている姿を見ると、つい微笑みたくなります。中心市街地で行きかう人同士の交流機会があることはまちに元気を与えてくれています。こんな光景を見るためにまちづくりをしていると、改めて思いました。