活動報告・レポート
2015年6月13日(土)
イニシエーションラブ
打ち合わせ

来週、打ち合わせを予定している小学生向けの防災対策に関して調整を行いました。和歌山県として南海トラフ地震に備えた取り組みとして、沿岸部を中心とした地域の小学校への支援を検討しているところですが、その日程や協議の進め方に関して調整をしたものです。和歌山県では南海トラフ地震が発生しても、被害者をゼロにすることを目指しているため考えられる事象に対して可能なことは備えておく必要があります。

地方自治体だけで追いつかないことは民間の支援を受けて進めることも必要です。津波対策として、私たちができることについて、7月以降に対応するための協議をしているところです。

イニシエーションラブ

1980年代の空気を楽しみながら「イニシエーションラブ」を一気読みしました。携帯電話もない時代の物語を読むと、時代の速度が遅いことに気付きました。そう言えば、スピード感は現代と比較にならないほどゆっくりとしたリズムを打っていたことを思い出します。会社から外出すると、急用があっても連絡が取れなくなるので会社に戻るまで仕事が捗らないこともありました。しかしそれで物事が片付いていたのですから、時代はスピードを求めていなかったということになります。

勿論、携帯電話がなくて、ビデオもなかったような気がします。パソコンもなく仕事で文章を作成するのは手書きでしたから、りん議は清書するような感覚で作成していたことを思い出します。当時の会社の文書規程には、当時、出始めたワープロのことは記されていませんでした。そのためワープロで作成された文書をりん議として決裁を受けることはできないという解釈があり、「それはおかしい。何のためのワープロなのか」と文書担当者に意見したこともあります。

今ではワープロは疾うの昔に姿を消し去り、手書きで文書を作成している会社はないのではないかと思います。

また電車などの移動時には、本を読むこと以外に有効に時間を使う手段はなく、読書量が増えたのはその時代だったからかも知れません。

ところで章立てには1980年代の音楽のタイトルが使われています。「君は1000%」、「木綿のハンカチーフ」、「ルビーの指輪」、「SHOW ME」など、時代を彩った音楽のタイトルが登場し、とても懐かしく感じます。忘れてならないとこは、1980年代はバブル経済の時代で華やかでどこまでも時代は伸びていく感覚がありました。黄金の80年代は日本のためにあったような言葉で、「もはやアメリカに学ぶことはない」という時代でした。日本が経済力で世界をリードしていた時代は、ジャパン・アズ・ナンバーワンで、日はまた昇る時代でもありました。

時代感覚とは不思議なもので、初めてアメリカに行ったのは1988年のレーガンの時代でしたが、アメリカから学ぶために渡米したのですが、サービス力以外は日本が勝っていると感じたものです。20歳代の若輩者がそう感じたのですから、日本の国力、経済力は相当強かったのです。

あの当時、迎え入れて仕事を教えてくれたアメリカ人達は、今ではみんな退職している年齢に達していると思います。あの時代を支えた人たちがリタイアしている2015年という時代に針は進み、あの時、仕事や社会情勢を教えてもらった私達の年代が社会の中で現役として活動しているのです。

振り返ると1980年代から30年も経過していること驚きます。30年前に流行した歌は、今の人からすると聴いたこともない曲であり、懐かしいというよりも古い時代の歌ということになりそうです。

本を読むだけで1980年代という時代をこれだけ思い出すのですが、生きた時代というのは自分の心の中にそっと沈んでいることが分かります。そんな時代を経験しているから今がある。そんな気がします。時代を生きてきて今があるのですから、経験値が最大になっている今が人生で最も素晴らしい時を刻んでいると思います。このようにして昨日よりも今日が素晴らしい日になり、明日は今日よりももっと素晴らしい日になるのです。

時に過去を振り返ることで、心の持ち方が前進することがあります。1980年代を背景にした小説に感化されました。