午前中、心筋梗塞で倒れて復帰した人の体験談を聞かせてもらい感動しました。友人のKさんと一緒に県政の報告のため伺った会場に来ていたYさんから話を伺いました。
Yさんは5月、仕事をしている最中に心臓に痛みが発生し倒れました。心筋梗塞だったのですが、救急車で運ばれて病院に到着すると同時に衣服を脱がされ、裸になって手術室に運ばれました。丸裸にされたうえ尿に管を通された格好で寝かされたのです。部分麻酔で手術をしたため意識はあったことから、その時の心境を話してくれました。
まず自分の身体なのに自由がないことから、健康の有り難さを感じたそうです。自由に動けることがどれだけ素晴らしいことなのかを実感したそうです。病気で倒れたら自分の意思で何もできないことから、高い位置から人を見下ろすようなことはしては駄目だと思ったそうです。いつも謙虚に、人には親切に接すること、そして社会のお役に立つことが使命だと感じたのです。
二つ目は生かされていることへの感謝です。自分の命ですが、自分で自分の身におきた心筋梗塞を治すことはできません。医師に助けてもらっていることから、生かされていると気付いたのです。生かされている命ですから、人のために使うことがすべきことだというのです。
三つ目は、心筋梗塞が発生したということは自分に原因があるのですが、そんな自分でも社会から必要とされているから手術をしてもらって復帰できたということです。心筋梗塞になるまでストレスを溜めていたことや不摂生をしていたことを反省し、助けたもらった命を社会に役立つことに使いたいと思ったそうです。自分のことだけをしていても人生ですし、人のお役に立つことをするのも人生です。
アメリカの伝説の人物キング牧師の最後の演説を引用し「死ぬ時が訪れた時、これまでの名誉や表彰されたことを伝えてもらう必要はない。キングは人を愛した人であったことを伝えて欲しい」という主旨の言葉を残したことを話してくれました。
つまり、自分のためにしたことは人に伝えることはできないし、あちらの世界で誇れるものではないけれど、人のために尽くしたことは誇れることであり、向こうの世界でも通用する普遍的な価値であることを言いたかったのです。
人のために尽くして暗殺されたキング牧師と比較して、自分は自分の不摂生から心筋梗塞になったのだから、これからは人のために尽くそうと決めて、今を生きていることを聞かせてもらいました。
たったひとつの命、たった一度の人生だと分かっている筈なのに、人はそのことを忘れています。病気や不運を通じて、天はそのことを教えてくれているように思います。逆境に際しては不運を恨むのではなくて、この出来事を肯定的に捉えて、これからできることを心掛けることが生かされていることです。良い行いを世に伝えることが生かされていることを知っている私達の使命なのです。
心筋梗塞に倒れ、手術の最中に思ったことを聞かせてもらい思ったことがあります。私達は命を授かり生かされているのだから、命を与えられ使命を帯びて社会に存在している限り、社会にお役に立つことをすべきだということです。人前で丸裸にされ尿道に管を通されても、生きることを選択するのが人間です。恥をかいても生きることを選ぶのですから、自分のために生きるのではないことが分かります。
病気に倒れても人のために生きようとするのですから、健康でいられるのであれば尚更、人のために生きることができます。
与えられている命、そして生かされていることについて学びかありました。
- 午前10時から中心市街地再生を図ることによる地域振興について協議を行いました。地域振興のための問題は、そこに関わる人の問題に尽きます。地域のため、社会のためと思う人が多ければ地域再生は図れますが、自分のためと思う人が多ければ地域の再生は難しくなります。
- 数人でランチタイムミーティングを行いました。医療と福祉など、社会で必要とされる仕事に関れることを目指したいと話し合いました。