今朝からも皆さんところへの訪問活動を行いました。最初は研修会に参加する皆さんを出発地にまで見送りに行きました。仕事を抱えながらも、熱心に研修機会を持っている皆さんと会って話をすることで元気をいただけます。早朝の時間でしたが皆さんとも笑顔で集まっていました。「片桐さんも一緒に行けたらよいのに」とお誘いをいただきました。春を過ぎてから、皆さんと一緒に行けるように活動をしています。
それに続いてKさんを訪ねました。日頃からとても大切にしてもらっている人で、私はKさんとお付合いをしてもらっていることに感謝しています。午前8時過ぎの訪問でしたが歓迎して自宅に迎えてくれました。
「ずっと片桐さんの応援をしています。私のところは来なくても大丈夫ですから」と話を切り出してくれました。
そして「活動の様子はホームページを見て分かっています。来てくれなくても皆さんに依頼をしていますから任せて下さい」と力強い言葉をいただきました。そこからKさんの現役時代の仕事の話に展開していくことになりました。
Kさんがまだ現役時代の時の話です。日本をオイルショックが襲いました。Kさんの製鉄所でも油が不足することになりました。大手石油会社に依頼をしても供給してくれる会社はありませんでした。日頃から石油の取引をしている会社でも「今、石油はありません」と断られることになりました。
鉄を精製した後に出る残りの成分を処理するために船舶が必要となります。その船舶に必要な石油が不足したのです。どの会社からも石油を供給してくれないので、製鉄所として稼動できなくなる恐れが出てきました。
そんな時、片桐石油が「小さな会社ですから量は少ないのですが、ある分だけ治めさせていただきます」と依頼を受けてくれることになりました。オイルショックの時代とは、日本中から石油が消え、加えて石油製品も市場から消えた時代です。少量でも石油があると製鉄所の機能は維持できることになります。その時のKさんと上司は、「これで製鉄所は稼動できる」と思い、嬉しくて感動し涙が出てきたと話してくれました。
Kさんは「この時の感動を今も忘れてはいません。いつか恩返しをしなければならない」と思ってくれていたのです。そんな時、共通の友人の紹介でご縁をいただきました。共通の友人は、「県議会に出馬する片桐さんです」とKさんに紹介してくれました。
その時、Kさんはとても驚いたことを今日、話してくれました。「ご恩を受けた片桐石油さんと同じ苗字の人が現れた。絶対にご恩を返さなければならない。片桐さんが議員でいる限り応援しよう」と内心で思ってくれてそうなのです。
Kさんにすれば定年した後に、現役時代にご恩を受けた会社と同じ苗字の人が現れるとは思ってもいませんでしたし、天の配剤とも言えるご縁をいただいたことを嬉しく思っていたそうです。
そこから私を応援してくれることになりました。「昔、こんな話があったのですよ」と教えてくれたことから分かったことです。
「一生、あの時のご恩を忘れることはありません。当時の片桐さんにご恩返しができなかったので片桐さんに恩返しをしますから。一生応援することが私にできることです」と話してくれました。
今朝から感動的な話を聞かせてもらいました。ご縁はつながっていること、そしてご恩を返そうと思っている人もいることを実感しました。感動の一日がスタートしました。
私は訪問活動によって参加できなかったため、ボーリング大会の表彰式に出席させてもらいました。表彰式の前に挨拶をさせてもらい、その後は表彰式にも参加しました。皆さんの笑顔が光り輝くような表彰式となりました。チームを組んでゲームを楽しむことは、所属する会社や組織に賑わいと元気を取り戻すことにつながりました。有意義な時間を作っていただいたことに感謝しています。