活動報告・レポート
2015年1月2日(金)
妙見山
妙見山

和歌山市内にも雪が舞い散る寒さ厳しい一日となりました。車を運転していても吹雪いてくる天候で、雪に慣れていないため慎重な運転を心掛けた日となりました。皆さんとお会いして新春らしい話ができたことに感謝しています。

和歌の浦にある妙見山に登りました。ここからは和歌の浦一帯が見える場所で、和歌の浦の中心地に位置しています。ここから和歌山市の平和と安全を見守ってくれているようです。司馬遼太郎氏の著書に「尻啖え孫市」という雑賀孫一を主人公にした小説があります。ここに妙見山からの和歌山市の風景画描かれているのですが、小説を書くに際して司馬遼太郎氏はこの場所を訪れているに違いないと話を聞かせてもらいました。ここに登った人でなければ、ここから見た和歌山市の光景の描写はできないからです。かつて司馬遼太郎氏も雑賀孫一も見た光景を同じ場所から眺めると元気が沸き起こりました。

和歌山市を守ってくれている神と同じ視点で和歌山市を眺めると、穏やかで平和な気持ちになります。大地は違っているとしても視点は同じですから、同じような大志を抱くことができる場所です。

さて新年にここに登ると新年限定でご祈祷をしてくれます。雪が舞い散る中、ご祈祷をいただいたのですが、気持ちが凛として心身とも温かくなりました。ご祈祷していただく人の力が漲り、ご神体からのご加護をいただけたように感じています。

ご祈祷を受けた後、「こちらにどうぞ」とご神体を拝見させていただきました。新年から素晴らしい体験をさせてもらえました。お顔は優しく微笑んでいました。しかし鎧を着衣し片方の手で刀を持っていますから武人です。もう一方の手には蓮の花を持ち、その先には北斗七星が浮かんでいます。

世を治めるには微笑むように包み込む気持ちを持たなければなりません。力だけ、争うことだけで治世できないことを示しています。人を包み込むような温かく穏やかな気持ちを持ち、しかし鎧と刀を携えているように、有事に備える姿勢を持っています。争わないで平和を保つにはこれが理想の姿なのです。政治も同じで微笑むような治世をすべきです。力で押さえつけるような政治は日本的ではありません。神話の世界において日本人は激しく争うことなく、両者が平和になるような形でこの国を治めることをしてきました。その姿が妙見山のご神体の姿となって存在しているのです。

ご祈祷をいただき漲るような力強さを感じ、ご神体の前で包み込むような温かさを感じることができました。精神的に何か確立てきたような感じがしています。世の中は人と争うのではなくて自分を高めることで優位に立つということです。次元の低いところで争うことをしないで、もっと高い場所に立つことで相手を優しく包み込むことができます。神様の微笑を前にして喧嘩を仕掛けるような人はいません。もっと高見に位置することで争いではなく融合という日本人らしい精神でいることができるのです。

この気持ちに至る過程を表現することは難しいのですが、力強いご祈祷と微笑むようなご神体、そして雪を上から見るような高い場所から見ることによって、精神力が天に近づいたように思います。理想は戦わずして勝つこと。そのためには同じ魂のレベルではなく高い次元に魂のレベルを持っていくことが大事だと感じています。こうした体験を繰り返すことで魂のレベルを高められると思います。

「偉い人になるほど頭を下げるものですよ」と教えてもらいました。ご祈祷をいただいた住職さんは、かつて自分の師匠がどんな人を相手にする時でも頭を下げていたことを話してくれました。どんな人に対しても、どんな苦言を述べる人に対しても、頭を下げ続けていたそうです。師匠が頭を下げるものですから、まだ若いこのお坊さんも頭を下げていました。偉いお坊さんである師匠が誰にでも頭を下げるは何故だろうと思い、尋ねたことがあったそうです。「人が自分に向かって話す不満や批判は聞きたくないでしょう。頭を下げるとそんな声は頭の上を通り過ぎて行きますから聞かなくてすみますよ」というものだったそうです。

ひとつには自分が偉いと思っていないこと。ひとつには修行を終えているので偉そうにする必要はないこと。そして不満や批判の声を聞くと自分も毒されてしまうのでそんなレベルに落ちないようにしていることだと思います。このように自信のある人は頭を下げられると思います。

そして政治でも大切な話を聞かせてもらいました。意見を言ってくる人も大切だけれど、意見を言わない人を大切にすることが大事なことだという意見です。声の大きな人の意見が全てではありません。世の中は声を出さない多くの人によって成り立っています。意見を言う人は3パーセント位だと思います。残りの97パーセントの人が意見を出していないのです。でも言わないだけで見ていますから黙っている人を大事にしなければならないのです。商売でも政治でも同じで、本当の声は待っていても届きませんから、現地に出掛けて意見を聞くことが大事なことです。そこに本当の思いが宿されています。

新春に学びがあり、精神力を高める体験ができました。政治には黙って包み込むような愛が必要だと思います。微笑を絶やさずに話を聞いて、人に対しては寛容で心を溶かすような温かさが必要なのです。そして時々、力があることが見えれば良いのです。

「優しくて強い。和歌山県のために力を発揮して下さい」という言葉をいただきました。

新春に魂が高まる貴重な体験をいたしました。

安心感

高齢者施設の理事長を訪ねました。この理事長は一年365日、休むことなく施設に出てきています。「特に年末と年始は、遠くにいて普段はここに来ることのできない家族の皆さんが来てくれるから、私がいる必要があります。私から入居されている親のことを話すことで安心してもらえるからです」と話してくれました。理事長はご家族に安心を提供しているのです。安心感を持ってもらえることが高齢者施設にとっても企業にとっても、政治にとっても大切なことだと気付きました。

理事長から「政治とは力ではありません。力で抑えようとすると反発されるだけですから、そんな力はやがて破綻することになります。それよりも人の心に安心感を与えられることが政治であり、そんな心を持った政治家を望んでいます」と話してくれました。

外は雪が降っていましたが、ここから見た空は青空でした。真実の話は天高く突き抜けたようでした。

実家

実家に戻り夕食をいただきました。今年の新年の実家は母親一人なので寂しさがありましたが、一緒に夕食をいただくと暖かくて幸せな空気が満ちてきました。今日の夕食は焼肉で歓迎してくれました。このお肉は私の友人のお肉屋さんで買ってきたもので、「とても親切なお店でした」と母が話していたように温かくて柔らかい味がしました。夕食時に何気ない会話が交わせることは幸せなことであり、こんな温かい食事と会話の中に幸せが宿っています。それに気付くことが毎日を楽しくしてくれますし、人に優しくできる心の持ち主になれます。

部屋も心も温かくなれた時間となりました。そして午後10時位までゆっくりできたので心身とも温まりました。