活動報告・レポート
2014年10月19日(日)
新しい朝

父親が去った後の新しい朝を迎えました。告別式から一夜開けましたが、死去してからは、その日を含めてもう四日も経過していることに驚きます。時間の経過の早さに戸惑っていますが、人の感情に関係なく正確に時は刻んでくれます。それが嬉しいような寂しいような不思議な気持にさせてくれます。

昨夜も実家に宿泊したため、目覚めた時は父親の写真がそこにありました。笑顔の写真ですが、遠いところに行ってしまったことを感じました。幸い、今日は日曜日だったので少しゆっくりできたので父親と顔を合わすことができましたが、明日から日常に戻ってしまうと、父親との別れの日が慌しく過ぎる時間の流れの中に埋もれていくのかなと思い、寂しくもありました。時間は薬と言いますが、薬を処方することで心は立ち直ると思いますが、思い出が遠ざかるような気がします。

さて午前8時頃から弔問のお客さんが来てくれました。お休みなのに気に留めてもらっていることは嬉しいことです。いただいた挨拶は「疲れが出ませんように」、「今日は少しゆっくりして下さい」など心遣いが分かるものでした。つくづく挨拶とは生きている人に向けられるものだと感じます。生きている人だけが言葉を交わすことができ、そして社会で生きていることを実感できるのです。言葉を無くした途端に存在はこれまでと違って遠くなります。地球という大河は小さな渦をかき消して、今も勢いよく流れています。

生きている人にとっての新しい朝が訪れていることを感じます。今日という世界は生きている人が見て、感じることができる世界で、今日は過去との決別を求めています。昨日を持つことはできますが、今日の活動においてはハンドをフリーにして生きなければなりません。ハンドをフリーにすること、それは新しい荷物を持つためです。このように毎日のように新しい荷物を抱えることによって、過去の荷物は引き出しの奥へと仕舞われていきます。過去を思い出にして今日を生きる。それが人生だと感じています。

今日までは時間の流れを止めるような抵抗をしていますが、明日からの活動報告は日常の活動に戻して行く予定です。

午前中は弔問のお客さんをお迎えして会話を楽しみ、午後からは父親の地元の皆さんへの挨拶に出向きました。そして皆さんから心温まる言葉を頂戴しました。言葉は温かさと強さを与えてくれるものです。

今日を振り返って、改めて朝を迎えられることに感謝しました。そして人と会って話をすることの楽しさと温かさを感じることができました。温かい言葉は心の中の氷を溶かしてくれますし、励ましの言葉は希望の種を蒔いてくれるものです。自信を持たせてくれる言葉は種に水分を補給してくれるようなものです。そして行為を称えてくれる言葉は太陽の光を注いでくれるようなものです。温かさ、励まし、自信を持たせること、そして称えてくれる言葉によって人は歩き出すことができると感じています。

今日、歩き出すために必要な言葉を皆さんからいただきました。もし明日が嵐になったとしても大丈夫です。今夜、これまで聞き取れてなかったコオロギの鳴き声が戻ってきました。溜まっていた新聞を読みました。手帳を開いて明日からの予定変更の連絡を取り始めました。そして今、パソコンを弾く音を聞いています。少しだけ日常の姿が描けるようになりました。

亡くなった人が悲しむのは、何時までも涙を流すことだと聞いたことがあります。生きている人が涙を流していると、自分のために悲しんでいると思い、故人も悲しくなるようです。だけれど生きている人が感謝の気持ちを持って笑顔でいると、故人はその人が幸せでいると思って、思い残すことなく天国に旅立てるようです。

悲しい気持ちを持つのは今日までにして、感謝と喜びの笑顔、そして今日に幸せを感じる日に戻したいと思います。それを故人が一番望み、喜んでくれることだからです。

今日の日を迎えられたことに感謝しています。