午前11時から告別式が始まりました。有り難いことに開式前に和歌山県知事と和歌山県議会議長か挨拶に来てくれました。本当に有り難いことだと感謝しています。お忙しい公務の合間を縫って来ていただいたこと深く感謝申し上げます。
私から皆さんへの式場内でのお別れの挨拶です。
昨日そして本日、ご参列いただきました皆さまに心から感謝申し上げます。突然のことでしたが、こうしてお参りしてくたれことで父親も喜んでいると思います。この二日間、父親と会話することができました。これまではおとうさんと呼んでいたので、父親に対して靖明という名前を呼ぶことはありませんでした。おとうさんから靖明という名前になった時、気付いたことがあります。靖国神社の靖と明治時代の明の二文字から靖明という名前になっているとしたら。如何にも日本人らしい名前だなぁと思いました。昭和一桁生まれなので、その当時の時代背景として明治の気質というものがあったのかも知れません。
さて父親との思い出はたくさんありますが、大きく3つの時期があったと思います。僕の子どもの頃は大変厳しくて、父親を知っている人は分かると思いますが、厳しいというか気が短くて、とても怖い存在でした。これが1つの時期です。そんな父親でしたが、僕がそして成人してからは一言も厳しいことを言わなくなりました。それは「もう一人前の男だから自分の責任で生きろ」と諭してくれたようでした。そのお陰で、その後は自分の好きなように自分の意思で自由に生きることができています。
そして最近が3番目の時です。体力が衰え話すことが厳しくなってきた時期です。語らないけれど父親は自らの老いを見せてくれことで人生を教えてくれたように思っています。自らの老いを見せることで、人生は好きなように生きることが大事なことだと教えてくれました。あれだけ強くて怖かった父親ですが、何故か小さくかつての強さはなくなっていました。
厳しく叱られて育てられた子どもの時代、何も言わずに見守って好きなように生きさせてくれた時代、そして老いていく姿を見せて人生の移り変わりを教えてくれた時代、この三つの時代を通じて父親から育ててもらいました。
父がいたお陰で、こんなに素晴らしい世界を見ることができました。父親がこの世に送り出してくれたお陰で素晴らしい人と出会うことができました。そして誕生させてくれたお陰で自由に活動をさせてもらえることができています。今はこの世に送り出してくれたことに感謝するばかりです。
父親亡き後ももっと社会に貢献していきたいと思っています。これからのご指導と変わらぬお付き合いをお願いして、皆さまへのお礼の挨拶とさせていただきます。本日のご会葬、本当にありがとうございました。
午後12時に閉式、その後和歌山市斎場へと移りました。最後のお別れをして火葬され、約1時間後の午後2時40分、遺骨になった父親と対面しました。逞しかった父親が今は小さな骨の破片だけになってしまったのです。この時の寂しさは表現のしようもありません。
身体がなくなったこと、肉体が無くなったことに対しての言葉はありません。魂はここに存在していると思いますが、形がないことの寂しさを感じます。
式場に戻り午後2時10分から初七日を執り行いました。これから7日毎に父親がお骨の場所まで戻ってくることになります。どんな会話を交わせるのか楽しみにしています。
別れの悲しみがあり、83年間の人生の重さと幸せがあり、共に過ごした53年間の感謝気持ちがあり、父親の肉体が消え去った今日の日の気持ちを表すことはできません。
ただ父親に言うとすれば、「これまでありがとう」、「この世に送り出してくれてありがとう」の言葉だけです。ただ生きている時に決して言えなかった言葉になったことを少しだけ後悔しています。しかし心から感謝しての言葉です。「ありがとう」。