大連の商談会会場において和歌山県の柿を展示しました。和歌山県のブースに来場者が並び、会場内で最も好評だったと感じています。柿を食した感想を聞いたところ、「甘くておいしい」、「歯ごたえが良い」、「中国の柿と食感が違っておいしい」など、とても好評でした。和歌山県のブースの列は絶えることがなく、思っていた以上の手応えを感じることができました。おいしいものは評価されると思いますし、和歌山県の柿は世界一だと確信していますから、この品質の高い和歌山ブランドの柿を近い将来、中国市場で販売したいと思っています。
ただ市場開拓は始まったばかりで、これからも継続した販売活動が必要です。継続することが信頼となり本気度を感じてくれています。事実、会場には「前は柿の販売活動をしていたけれど最近は参加していませんでしたね」という意見も聞くことがありました。継続した関係こそ信頼であり、将来の販売につながるものだと思います。
大連のホテルにいる時、何度も携帯電話が鳴りました。つながらなかったのですが、午前7時過ぎにこちらから電話をしたところ「父親の様子がおかしい。呼吸が大きくなっている」という連絡でした。嫌な予感がしたので慌てて帰国の手配を行いました。本来であれば今日と明日の二日間は商談会に参加して和歌山県を売り込む役割を担っていたのですが、急遽帰国することになりました。ただ大連から関西空港の飛行機は一日一便のため簡単に席が確保することが困難な状況でした。今週の大連便は異常に搭乗者が多く満席状態だったからです。関係する多くの皆さんに尽力してもらったお陰で、午後2時15分発の関西空港行きに搭乗することができることになりました。
日航ホテルで身支度をしている時、洗面用品を入れるバッグのチャックを閉めようとしたところ、力が入っていたためか折れてしまいました。時間は8時50分頃でした。少し不安な感じがしたのですが、搭乗時間いっぱいまで商談会場でお客さんを対応して空港に向かいました。
無事搭乗でき定刻に飛行機は飛び立ちました。しかし父親はこの日の午前9時38分に息をひき取っていたのです。大連の商談会場から電話をした時にこのことを知りました。後悔という言葉が浮かびました。
ところで日本時間の午前9時38分に死去したのですが、洗面用品を入れるバッグのチャックが折れた時刻を日本時間に置き換えると午前8時50分頃になります。父親の魂が僕のところに飛んできて、最後の時を知らせてくれたように思います。チャックが折れてから約30分後に父親がこの世を去ったのですから、きっと頑張ったけれどもう駄目だと思い、魂が最後の別れをするために身支度をしているところに忍び込んで、伝えようとしたのだと思います。長年使用していたバッグの鉄でできた部分が折れるなんて考えられないからです。
飛行機の待合室は少し涙腺が緩みました。飛行機が日本に近づいてきた時、時間を1時間早めた時、急に父親の死が現実のものとして感じました。午後4時から午後5時に1時間だけ時間を早めたことが、違う世界から現実に引き戻されたように感じました。きっと父親の死という夢の中にあったものが現実であることを意識するには十分な時間となりました。もう直ぐ関西空港というところまで来て何気なく水平線を見ました。僕が降り立とうとする時間ですが、もう父親は水平線の辺りを飛んでいるように感じ、遠くまで行ってしまったと思いました。もう会えないと思うと再び、頬を伝うものがありました。
関西空港に到着してから午後6時のリムジンバスに乗り、そこから父親が眠る実家に到着したのが午後7時でした。冷たく横になって寝ている父親がいました。認めたくない事実を現実として認めらなければならない瞬間でした。後は言葉がありません。式場の担当の方と明日からの打ち合わせを行い、実家で父親の横で一緒に寝ることにしました。
一日中、一緒にいて時々、顔を見たのですが反応がなく、朝が来なければ良いのにと思いました。しかし太陽が昇りました。