活動報告・レポート
2014年10月13日(祝・月)
お別れ
お別れ

太田城を和歌山市の名所にしたいと取り組んでいたOさんが89歳でご逝去され、本日は告別式が執り行われました。昨日に引き続いて立礼に立たせてもらい最後のお別れを告げました。寂しいけれど今日でお別れです。

Oさんが太田城の歴史を話してくれる時はいつも嬉しそうな笑顔でした。太田城に関する新しい発見や新聞記事があると私の携帯電話に連絡が入るのですが、「片桐さんですか、お忙しい中、恐縮ですが自宅に来てもらえませんか」と丁寧な言葉でお誘いをいただきます。訪問日の約束をして伺うのですが、「片桐さん、来てくれたのですね」と笑顔で迎えてくれます。そこから資料を引っ張り出して、とても丁寧に説明してくれるのです。大体、一度訪問すると2時間はOさんの傍にいることになります。熱心に説明してくれるので、こちらも姿勢を正して真剣に聞かせてもらいます。質問をすると、もっと嬉しそうな笑顔になり丁寧に答えてくれるのです。

こうして手作りの太田城の冊子をいただき、新聞記事をいただきました。これらの資料は私の事務所に大切に保管しています。いまはもっと大切な資料になってしまいました。これから先、Oさんが書いた新しい調査資料が発行されることはないのですから。

晩年は太田城の研究に全てを賭けていたようで、和歌山県議会の文教委員会で調査のため訪問すると、保存会のメンバーと共に現場で待ってくれていました。それまでは余り研究対象として認められていなかった感もある太田城に文教委員会と教育長がようやく来てくれたという表情がありました。

実は私は太田城の水攻めの歴史をOさんに聞かせてもらうまで知りませんでした。地元地域でありながら、太田城が存在していたことも知らなかったのです。現代に現存していないことや歴史教育で教えてもらった記憶がないからです。豊臣秀吉の三大水攻めのひとつが太田城の水攻めであり、城主である太田左近の物語があります。

その歴史の谷間に埋もれている太田城の水攻めの歴史を蘇らせ地域資源として認めて欲しいという願いがあったように思います。これまで太田城に関して依頼をしてきましたが、ようやく太田城址の史跡調査に着手するところまで到達しました。平成26年11月から着手し、その価値を和歌山市として認めてくれるかもしれないところまで辿り着いたのです。

嬉しい報告ができると喜んでいた矢先の訃報連絡でした。入院生活をしていたのは知っていたのですが、平成27年の紀の国わかやま国体までに観光案内板の設置も含めて、動き出そうとしているところだったので、今は無念に思っています。もう少しでOさんの思いが成就できるところまで来ているのに無常観があります。

今からできることは、史跡調査を開始し歴史的価値を認めてもらい、太田城の観光施策に持っていくことです。宮地区の観光資源として大田城があることを和歌山県内、そして全国に発信することが叶えば、天国のOさんも喜んでくれると思います。

それまで太田城に関わる仕事を続けたいと思っています。

ところで私には優しい印象ばかりのOさんですが、若い頃は強いリーダーであり怖い存在でもあったことを聞きました。剣道の名選手であり指導者であり、多くの後輩を育成してきました。宮地区自治会活動においても発展に寄与してくれた人であり、Oさんの存在がなければ、今の宮地区の姿はなかったかも知れません。例えば、地元では今では当たり前のように利用しているJR和歌山駅東口ですが昔はありませんでした。このようにJR和歌山駅東口の開設に尽力された方であることも知りました。

そして自治会活動を通じて太田城の歴史と物語が地元の宝であり、和歌山市の宝になると思ったように思います。今はまだ太田城の歴史は知られていない存在ですが、これからの取り組みで今よりも知名度を高めていきたいと考えています。

告別式場では嬉しい意見が寄せられました。「O先生のお陰で昔の仲間に会うことができました。先生が日ごろは会うことが少なくなった私達を会わせてくれたように思います」、「若い頃は強気で、言い出したらこちらの話を聞いてくれませんでした。言い合いしたことが懐かしい思い出です」、「O先生は自分のことよりも地域の仕事を中心に考えていました。人のつながりの大切さを教えてくれたように思います」など、心温まる話を聞かせてもらいました。

最後に喪主さんが挨拶の中で「自分の好きなように生きてきた。そんな良い人生を生きたことだと思います」と話したことが印象に残りました。良い人生を生きた。これ以上のことはない素晴らしいことだと思います。心からご冥福をお祈りしています。

台風19号

台風19号が和歌山市に到来しました。和歌山市内には大雨、暴風などの警報が発令され、警戒態勢を取りました。車で市内を回ったのですが、午後7時頃から雨風が一層強くなりました。防災対策として態勢を整えた夜となりました。