活動報告・レポート
2014年10月8日(水)
建設委員会二日目
建設委員会二日目

委員会二日目は活火山である立山の視察です。岐阜県から富山県に抜けるルートを取り、立山で続けられている砂防事業について学んできました。火山活動によってこの地域は安心できる環境ではありません。今でも立山は進入が制限されている地域であり、安政5年の噴火によって地形が変わり、以降、土石流との闘いの歴史があります。この地域を流れる常願寺川に砂防を建設しているのも、土石流被害を食い止めるためです。この川を覆う土石流は下流に位置する富山市にも影響を与えることになるので、食い止めることが富山県の大きな課題です。

驚くことに砂防事業は約90年間、予算にして2,500憶円も費やしている事業であり、未だに完成時期は見込めていません。最低でも後90年は事業の継続が必要だとされていて、半永久的に対策を講じる必要があるようです。

これだけの自然環境と闘っている富山市の取り組みは凄いの一言です。歴史を聞かせてもらいましたが、かつて富山県は石川県と一緒だったようです。ところが砂防事業に費やす予算が莫大でした。当時、府県をまたがない砂防事業は国直轄事業には認定されていなかったことから県費の支出が多く石川県は富山県と別れてしまったのです。明治時代初期に石川県から分離される形で富山県は誕生していたことを知りました。

今では県単独の砂防事業でも国の予算で事業が進められるようになっていますが、富山県の苦難は明治時代から現在にまで続いているのです。莫大や予算を費やさなければ安全を確保できないことは県にとって大変な負担だと思います。これと比較すると和歌山県の砂防事業が早期にできない訳はないと思います。紀伊半島大水害から復興を図っている和歌山県ですが、富山県の砂防事業歴史に学びたいと思います。

また今回は工事用トロッコ列車に乗車させてもらいました。約1時間30分、トロッコ列車で立山を巡り、常願寺川を上流までのぼり、砂防事業の現場を見て回りました。その規模の大きさと先人の苦労を感じることができました。先人の取り組みがなければ、富山市が現在のような発展が約束されていなかったかも知れません。活火山との闘いの歴史が今日の富山市を築いているのです。

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活火山である立山が背景にある富山市は、恵みも受けていますが安全を脅かされています。自然との共生というテーマで、人が砂防事業に取り組んでいる歴史は壮大で富山市を語る物語としての価値があると思います。この砂防事業は土石流を食い止めるという役割よりも、土石流の速度を弱め、エネルギー量を減少されるという役割を重点にしています。このことからも自然の猛威を人が食い止めることの困難さが分かります。自然に対抗することはできないので、せめて自然災害の威力を弱めて人が逃げられる時間を確保することや、災害による被害を減少させることを狙っています。この考え方は大災害対策に参考になるものです。完璧な自然災害への備えはできないことから、考えられる対策を講じながらも、命を守る最後の判断は各個人の自己責任に委ねる以外にないのです。

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そして日本として莫大な予算と技術者を投入した常願寺川の砂防事業は、黒部川第四発電所の開発と相通じるものを感じました。これらの世紀の大事業は立山と共生している人の歴史を物語っています。

和歌山県も自然が豊かで、時には安全を脅かせる時もありますが、立山のような活火山による危険が潜んでいる地域ではありません。県土発展のための予算を他の分野で使える環境がありますから、もっと県土整備が図れる余地はあると思います。これほど巨大な砂防事業の必要はありませんが、南海トラフの巨大地震に備えることへの必要性や気持ちが醸成されました。人が自然と対峙することは簡単なことではありません。長い年月と予算が必要ですが、後世の人の為にやるべきことはやらなければならない。そんな使命感が与えられたように思います。

巨大なプロジェクトは人を無力に感じさせることがありますが、逆にそこに挑戦しようという気持ちを湧き立たせてくれます。挑戦する気持ちを湧き立たせてくれた立山の自然と砂防事業の視察でした。

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