詩吟のN先生を偲ぶ会に参加しました。教室に通っていた会員のうち約30人が参加した懐かしくて楽しい会となりました。私は木曜教室に在籍していたのですが、今でも詩吟のことを分からないままです。今更ながらN先生の指導や話を思い出します。
まず主催者を代表してSさんが挨拶をしてくれました。Sさんからは、「亡くなって二ヶ月が経過しましたが今でも生きていると思っています。千の風になって吹き渡っていると思っています。今日、会員の皆さんが集まってくれたことを、ここで喜んでくれていると思います」と挨拶の中で触れてくれたように、N先生は今でも生きてこの場所にいるように思います。
冒頭、追悼の詩吟をみんなで吟じました。故人を想い、きっとここにいると思いながら、そして悔しい気持ちも込めてみんなで吟じました。涙を流す会員もいて、先生がみんなから愛されていたことを改めて認識しました。
Nさんのご主人さんも出席してくれていて、「私が先に死んでいたとしたら、偲ぶ会をしてくれる人はいなかったと思います。こうした会に参加させてもらったことで妻はとても愛されていたことを知りました。凄い女性だったなあと思っています」と話してくれたように、みんなを巻き込む力のあった先生でした。
ご主人は続けて挨拶をしました。「家の整理をしなければ行けないと思っているのですが、片付けようとしても思い出の品が出てくるので片付きません。思い出の品を見る毎日なので、思い出しては泣いています。こんなに涙もろい人間だとは自分では思っていませんでした」と話してくれました。ご主人も先生の生徒の一人だったので、この場で「川中島」を吟じてくれました。
とても素敵な偲ぶ会となりました。先生亡き後ですが、定期的に開催することを話し合って会を終えました。
夜になりましたが同級生のお店に連絡を取り髪の毛をカットしてきました。とても懐かしい話や最近の話などで時間を忘れるほどでした。16歳の時の同級生が今では53歳になっています。あれから37年という時が経過していることに驚きますが、お互いに社会で生きられる立派な大人になったものです。
16歳というと生きていくことも何か分からないで、どんな人生が待っているかも知らないで、そしてどんな生き方をするのかも知らないで、語り合っていた頃です。
ビートルズのアビーロードを聴きながらカットをしてもらったのですが、それはとても楽しい時間でした。昔のような今のような会話は時を戻し、そして時をゆったりと流してくれます。慌しく過ぎ行く日々の中で木漏れ日のようなゆっくりとした時間を過ごせたことは素敵なことです。
会話の中に音楽の話がありました。あの頃流行っていたのはオフコース、さだまさし、かぐや姫などでしたが、時間の経過は当時のライバル達を友情の芽生える戦友に変えています。当時活躍したシンガーが一緒にライブをする機会があるようです。もう争う年代ではなく共に歩いていく年代になっているのです。若い頃の伸び行く戦いも楽しいのですが、年を経て共に歩くことも楽しいことです。争うことよりも一緒に歩くことの方が楽しくて幸せだと感じます。53歳になった今だから分かる感覚です。
「この年になると社会的地位を確立している人がいて焦ることもあるけれどね」と付け加えて話してくれました。どの分野で活躍していても社会の中で役割を保てていることは嬉しいことです。
この2時間弱は、懐かしくて嬉しい時をプレゼントされたように思います。これからも逞しく人生を歩いていくことになります。
- 店頭に接していた紀の国わかやま国体の幟が先日の台風の影響で痛んでしまって飾れなくなったことを話してくれました。新しい国体の幟と公式ポスターを持っていくことにしました。
- JR六十谷の駅から東に向かう道路で犯罪行為が発生していることを聞きました。午後8時以降、高校生が帰路につくため自転車で走っているところを二輪車が追い越して、追い抜く時に足で蹴飛ばして水路や田に倒される事件が発生しているようです。この悪質な事件は9月に入ってから頻繁に発生しているので犯人を早期に検挙して欲しいと依頼を受けました。卑劣な事件を放置しておくことはできません。県警と協議したいと思います。
- 病院にお見舞いに行ってきました。ベッドの上の姿を見て安心したり心配したり、そんな時間を過ごしました。