国土交通省主催の紀の川一斉清掃に参加しました。午前6時に起きて飲料水の積み込みなどの準備を行い現地に向かいました。300人近い方が参加して紀の川の河川敷を中心にゴミ拾いを行いました。河川敷の道路は汚れていないのですが、河川近くの護岸は漂着物が溜まって汚れていました。ペットボトルや弁当に使用されている袋などが目立ち、必要なものが不必要になった途端に捨てる光景が浮かびました。
ペットボトルなどは回収すればリサイクルで蘇えりますが、捨てるときたないゴミになってしまいます。ゴミにするかしないかは人の心次第ですから、きれいな心の持ち主でありたいと思います。ゴミを拾う作業をするとゴミの投げ捨てはしなくなりますし心もきれいになります。
きっと道路や河川にゴミを投げ捨てる人は、ゴミ拾いの経験がない人だと思います。夏の紀の川の清掃や秋の一万人大清掃などの早朝からのゴミ拾いをすると、ゴミをポイ捨てしようと思わなくなります。
人の気持ち次第で環境もまちも変わると思いました。
はやぶさプロジェクトに参加した先生の話を聞かせてもらいました。丁度、アメリカから日本に帰国していて、子ども達にはやぶさの話を伝えるために和歌山市に立ち寄ってくれたものです。
はやぶさは日本中に感動を与えたことは、まだ記憶に新しいところです。はやぶさの目的は現在と将来の科学の発展のために、惑星イトカワの土などを採取し、未来の科学者に残そうとするものでした。イトカワから未来の宝物を届けることが目的のプロジェクトでしたが、困難な宇宙の旅を成し遂げたはやぶさの物語から感動という宝物をいただいています。
困難な旅を成功させたのは日本人らしいことですが、機械であっても名前をつけ愛情を注いだからです。機械であっても愛することで、機械はその愛を返そうとします。はやぶさの部品には、例えば、天、地、人、父、母という名前が付けられていたことを知りました。名前をつけていることは製作者の愛が感じられます。
ところで、はやぶさ2号は平成26年12月に打ち上げられる予定だと聞きました。次の使命を果すために製作が続けられているそうです。宇宙を解明することは人類に役立つことであると信じ、科学者は調査と研究を続けています。
心に残ったことは、解がある問題を解くことは学問とは言わない。解が導き出された問題について、それがどんな条件で成立するのかを証明することが学問だということです。学校の勉強は解が存在していて生徒はそれを導くだけなので、生徒の能力は向上しますが、それが直ちに社会に役立つものではありません。大人はそんな仕事をしていてはいけないのです。大人は社会で発生した解が、何故そうなったのかを証明することが役割です。存在していて自分が知らないだけの問題の答え探しは学問ではありませんし、大人が追求するものではないのです。
学問、そして社会における大人の役割があることを認識でき、社会で役立つ人間になることを意識できました。
杵屋師匠とお弟子さんによる杵栄七珠の会が開催されました。有家自治会館で演奏会を開いたもので、地元の皆さん、和歌山市内から大勢の皆さんが参加してくれた楽しい演奏会となりました。
今回、舞台は初めてというお弟子さんもいて、初々しさも感じられる舞台でした。奏者は浴衣で夏の涼しさを感じさせてくれました。演奏会は約1時間でしたが、長さを感じさせない演奏で、夏の一時を楽しむことができました。
演奏会終了後も会館に残り後片付けをしていました。そうするとお弟子さんが一人ずつ師匠に挨拶をしていました。舞台の反省に基づいた課題を認識し、明日からのお稽古で活かすためのものです。演奏会の直後に反省をして課題を意識し、これからのお稽古に反映させることが上達への道だと思います。しっかりとした舞台を作れているのは、こうした行動があるからです。本番の舞台と舞台裏の両方を見ることで見識が高まります。