和歌山市片男波海岸での地引網イベントに参加しました。「ファミリーイベント」と銘打った行事は、大勢の皆さんが参加した活気あるイベントとなりました。開会に当たって挨拶の機会をいただくなど、参加した皆さんと交流の機会をいただきました。
最近はマラソン大会やイチゴ狩り、ボーリング大会など、交流機会を求めている人が多くいます。和歌山市に漂っている閉塞感打破やストレス解消の機会になっていることも参加者が多い理由だと思いますが、難しい考え方をしなくてもイベントは参加するだけで楽しいのです。人と話をすることや一緒に地引網を引くことが楽しいと感じるのです。
イベントの中で和歌山市の課題についていくつかの意見がありました。
- 和歌山市の人口が減少していますが、これを解決する方法はありますか。
- 高島屋徹底、駿河屋倒産は和歌山市の衰退を示す現象です。中心市街地の再生を図って欲しいと思いますが、その方策はありますか。
- 和歌山市に希望を感じられないのですが、希望を感じられるような和歌山市の取り組みはないのでしょうか。
- 国体までの盛り上がりは感じますが、国体以降で考えている和歌山市の取り組みはありますか。
以上のような意見がありました。いずれも和歌山市が衰退していることの危機感を抱いているものですが、それに対して明確に答えられる施策がないのです。和歌山県全体で答えるとすれば、和歌山県の新しい産業として海洋資源を活用したエネルギー産業の取り組みという答えがありますが、和歌山市に限定すれば、人口増加対策や中心市街地活性化の答えが見つからないのです。
それでも施策を模索していくことが前進することだと思いますので、明日の和歌山市の発展のために現在の活動を諦めずに実行したいと考えています。
高校の同級生で親友だった関君の七回忌を迎えました。自宅にお邪魔して仏壇に手を合わせると、平成20年6月6日、46歳と書かれていました。「もう6年も時が流れているんだなぁ。46歳の関君は今どうしていますか」と心の中で会話をしました。時の流れる早さに驚きますし、6年の年月は52歳の私達と46歳の関君という年齢の差になって現れていることの不思議さを感じています。
同じような年齢を重ねていた同級生ですが、年齢差が開いているという事実に寂しさを感じています。関君の母親と会うのは命日の前後の一日となっていますが、この一年の経過も本当に早く感じています。6月の最初の日曜日に七回忌で遺骨は西本願寺に納められたと聞きました。遠くまで行ってしまったことを今更ながら無念に感じますし、その分、生きて活動しなければならないと強く思います。
時は私達に期限という課題を突きつけてきます。期限内でやりとげるものを見つけ、それを達成することを求めてくるのです。関君は獣医師という使命を見つけ、45年という年月を彼の社会的使命に生きたのです。今では、その動物病院はIT会社の事務所になっていると聞きました。時の流れを感じる出来事ですが、獣医師として生きる意義を見つけ、短い年月でしたが、生まれてきた責任を果たした人生だった思います。
関君の母親から「みんな立派になって」と声を掛けてもらいましたが、「立派に役立っているのだろうか」と自問しました。関君から人生の課題を与えられたような気がして、彼がやり残したものや、社会の中で前進させたかったものを考える時間がありました。
生きていることは素晴らしいことですが、そこに証を残すように行動することでもっと素晴らしい人生になります。
七回忌を終えた今、彼は天国から私達にどんなエールを送ってくれているのかを感じたいと思います。彼からどんなエールが心に届くのか、自分との会話を楽しみにしています。