和歌山市出身、大阪市内で起業し一代で会社を興した経営者がいます。仮にSさんとしますが、15歳の時に和歌山市内の中学校を卒業してから大阪市内に丁稚奉公に出ました。そこから苦労の連続でしたが、負けん気で困難を乗り切り20歳代で起業、大きな会社に育て上げています。現在は会長職となり後進に社長を委ねています。会長に就任したのは60歳の時で、還暦を区切りとして経営の第一線から退きました。それ以降、職場に顔を出すことはなく若い社長に経営を任せています。「困ったときだけ相談に来ます」と笑いながら話してくれましたが、頼もしい社員が会社を成長させてくれていることに満足している様子が伺えました。
そんな会長から社長を紹介してもらいました。きっかけは会社内に掲示されている児童施設からのお礼状を見たからです。「会長が児童施設に慰問活動をされているのですか」と質問したところ、「これは社長宛のお礼状です。どんな社会貢献をしているのか詳しく知らないので聞いてみましょう」と言って社長を呼んでくれました。
初対面ですが、若い社長は真面目な方だと感じました。児童施設の慰問活動について話をしてくれました。きっかけは現場仕事のため、その児童施設の近くに行ったそうです。仕事を終えて社有車をバックさせていたところ、後ろから複数の子どもの声で「オーライ、オーライ」という掛け声が聞こえました。直接後ろを見たところ、数人の子ども達が誘導してくれていたのです。その時、現場の後ろに児童施設があることを知ったのです。
何か社会貢献をしたいと思っていたことから、社長がその児童施設を訪問し子ども達の夢を叶えられないか相談したのです。児童施設からは「子ども達はスーパーカーに乗ってみたいという夢があります」と話がありました。話を持ち帰った社長は友人達と相談したところ、「その夢を叶えてあげたい」と話がまとまり、スーパーカーを借りて、子ども達を乗車させてあげたのです。それを何度も繰り返して現在に至っているのです。
しかも夏祭りで焼きソバやタコ焼きを焼いたりして子ども達と触れ合っているのです。そんな児童施設への訪問を続けていることから、子ども達から感謝状が届けられているのです。社長は「子ども達とのふれあいですから仕事は関係ありません。子ども達とふれあうためのNPO法人を申請中なので、その組織を核として訪問活動を続ける予定です」と話してくれました。個人としての取り組みを本格的に組織としての活動に切り替えていく意思を聞かせてもらいました。
さすが会長が後継者に指名しただけのことはあります。仕事も優秀だと感じましたが、社会貢献活動をしていることに感心しました。これだけの話で、これからも発展していく会社だと感じました。伸びている会社は職場に活気があり、従業員の皆さんが活き活きとしています。また従業員の皆さんはエレベータの使用を禁止し「階段を使うように」とエレベータの扉に張り紙が掲示されています。その理由は、節電意識の向上とメタボを防止し健康に留意するためです。凡事を徹底する企業姿勢を見ることができました。
会長はひとつのことを徹底して追求し、会社を発展させ特許や固有の技術を財産として残しています。「人生の限られた時間からは一人でできることは限られています。一つのことを徹底することが成功の秘訣です」と話してくれました。
作家の神渡良平先生の講演を聞く機会をいただきました。とても好きな作家なので楽しみに聞かせてもらいました。神渡先生は脳梗塞で入院している時に中村天風氏の本を読み、「天風先生に助けられた」と話していました。それは「あなたがこの世に送られたことには何かの意味がある。誰にでも何か達成すべき仕事があるので、生きてその意味をつかむことが尊いことです」と教えられたのです。そして脳梗塞から復活し、作家として生きることになったのです。
素晴らしい話を聞かせてもらったので、後日コラムにまとめたいと思っていますが、ひとつだけ話しの内容を紹介します。
福島県にある聖光学院高校硬式野球部のことです。今でこそ甲子園大会の常連校になっている同校ですが、始めて甲子園出場を果たした時の一回戦は20対0で敗れたそうです。
応援してくれた福島県の皆さんに顔向けができないと感じていた時、神渡先生の著書を紹介してもらい、それがご縁で、野球部監督は神渡先生と出会ったのです。そこから神渡先生は同校野球部の応援をするようになりました。
訪れる試練はその人を潰すためにやってくるのではなくて、今の状態は危ないと気付かせてくれるために訪れてくれているのです。気付かされた人はそこから立ち直ろうとしますから、神様が直面している危機を教えるために困難を与えてくれているのです。
20対0で敗戦したのは監督に何かを気付かせてくれるためのものであり、必要な試練だったのです。監督の気付きは、選手を集めるのではなくて、聖光学院硬式野球部志望して入部してくれた選手の能力を3年間で伸ばすことだったのです。優秀な選手を集めて強いチームを作るのではなくて、入部してくれた選手の能力を高めて強いチームにすることが大切だと気付いたのです。その気付きがあってから甲子園への道が開かれたのです。
選手のアンダーシャツには、「疾風に勁草を知る」と書かれているそうです。その意味は、人は困難に遭って初めて人の本当の価値や本当の強さが分かるということです。疾風とは激しく吹く風のことであり、勁草は強い草を意味するものなので、激しい風が吹いて初めて強い草が見分けられることから、人も困難に直面した時に真価が分かるということです。
神渡先生の素晴らしい話を聞いて、聖光学院のことが好きになりました。午後8時30分に講演会は終了し、その後反省会へと続きました