海南市に孟子という地名のところがあります。自然に囲まれてゆったりとした時間が流れる場所です。今日はほぼ半日、孟子の知人宅でゆったりとした時間を楽しみました。午前中に移動し、昼食と懇談の時間を楽しむことができました。孟子はビオトープが有名なところで自然を再生し守り続けている場所として和歌山県内では有名なところです。ただ地元に暮らしていると「ビオトープのような自然はたくさんある」と話してくれたように、自然の大切さを常に感じています。ですからそこに行かないでも自然の恵みは享受できる環境にあるので、とても豊かな暮らしをしています。自家菜園で野菜や果物を収穫していることや季節毎に彩を変えてくれる花、風のにおいと小さな滝の音などが快く響いてきます。
見上げると青く輝く空があり、旅客機が一筋の白い直線を放ちながら飛んでいました。青空に白い直線をどこまでも伸ばしている飛行機に見惚れていると、「この辺りは関西空港の空路になっているので飛行機が良く飛んでいます」と話してくれました。暫くすると白い直線がふわっとぼやけていく光景が、空のキャンパスに描かれました。子どもの時に不思議だと思いながら見た光景に似ています。
知人は「中途半端な田舎なので観光する場所がない」と話してくれましたが、おもてなしをするのに十分恵まれた自然環境だと思います。しかも近年は道路も整備されていることから、和歌山市内からでもそれほど遠くありません。道路事情によりますが、和歌山県庁まで30分で行ける時もあるようです。
ところでゆったりとした時間を過ごせることは、とても贅沢な時間だと思いました。部屋には時計がなく、時の過ぎ行く様を感じるような流れがなかったからです。応接間には北欧風の家具、そして絵画が飾られて日常ある時間とは違った感じもありました。心を穏やかにして、身体を安らげてくれる空間と時間を得たような感覚があります。慌しく流れる日常の時間と、ゆったりと流れる休日の時間の両方を感じられることは幸せなことだと思います。
人はオンとオフ、陽と陰、プラスとマイナスなど相反する二つの宇宙の構成要素を感じることで善悪を学び、生き方を修正して行きます。自然界の原理に反して人は生きていくことはできませんから、普段体験している賑わいに加え、心身に静けさを体験することは有意義なことです。
大人になると小さな滝の音を聴いたり、飛行機のジェット雲を見上げたりする機会は滅多にありませんから、意識的にこの機会を設定することで心の状態を透明にリセットできるようです。
ただ仕事をしながら自然を楽しむことは難しいことなので、人口の減少が問題となっています。知人の子どもも地域外に出ていって住居を構えていますし、この地域の家庭は130軒程度になっていると聞きました。自然が豊かな地域ほど過疎化が進展していくのです。人は自然の中で生きている存在ですが、一方で社会の中で生きていく存在でもあります。
自然人として社会人としても生きる存在が人間ですから、日常の中に賑わいと静けさの両方が必要なのです。静けさの中で、自然の価値だけで社会的存在を訴えていくことの難しさも感じました。インフラ整備、人の交流、経済活動を兼ね備えた地域にしながら、自然の豊かさを保つことは理想ですが、この宿題を解くことは簡単なことではありません。
自然のある地域の暮らしを通じて、過疎地域のあり方を考えるきっかけになりました。気が付くと大型連休も最終日を迎えました。何でもそうですが、その時に入る前は遅く感じるけれど、その時が終わる時は早く訪れます。待っている時間の楽しさと、終わろうとする時間の寂しさを味わうのは、その時間が楽しくて充実しているからです。そんな時間を過ごせている今をとても楽しく感じています。