隠岐の島町の視察のため隠岐の島町役場を訪問しました。ここで注目すべきことは竹島です。日本の領土である竹島ですが、韓国に実効支配されているため日本人は昭和29年5月に行ったのを最後に誰も行ったことがありません。隠岐の島町を訪れると、隠岐の島は国境の島であることを意識させられ、常に緊張感を持って生活していることを実感させられます。昨日、山内町長も「もし海士町から人がいなくなれば、韓国に支配される時代が訪れるかも知れません。そめためにも島の人口を減少させてはいけないと思っています。離島の産業振興を図ることで永遠に日本であり続ける必要があるのです」と話してくれましたが、国境に位置している離島は常に緊張があります。その意味からも離島に関心を持ち、声援の声を上げ続けたいと思います。
ところで日本の領土である竹島は何故韓国に実効支配されているのでしょうか。それは昭和27年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約の効力が発生する3ヶ月前の昭和27年1月18日に当時の韓国の李大統領が「海洋主権宣言」を宣言して竹島を取り込みました。日本政府は抗議しましたが、韓国は日本に対して巡視船に発砲するなどして、竹島の占拠を続けました。韓国はそれ以降、灯台を設置し、海洋警備隊を置いて監視を開始しています。
島根県では、平成7年に島根県議会で竹島の領土権の早期確立を目指して2月22日を竹島の日に定めています。日本の領土ですが日本人が行けないのが竹島です。わが国固有の領土を早期に回復したいと隠岐の島に来ると痛烈に実感します。日本人として領土問題に関心を持ち、日本の領土竹島を支持する必要性を感じています。
竹島の位置ですが、島根県からは211km、隠岐の島からは158kmとなっています。韓国からは217kmであり、この距離感が竹島の領土問題を微妙なものにしているようです。
竹島問題は離れている地域からすると関心が薄いのですが、近くにいると自分の問題になります。距離感や緊張感が竹島問題を自分のものとして感じるか感じないかに影響を与えています。しかし日本の領土が60年以上も占拠され続けていることはおかしなことですし、早く解決に向かわなければ世代が変わると「韓国の領土」と思う世代が多数を占める時代になる危険性もあります。
竹島問題は島根県だけが関わる問題ではなくて、日本国として早期解決を目指すべき問題です。隠岐の島に来て切に思った次第です。
さて隠岐の島におけるものづくり学校は、平成23年度の過疎地域等自立活性化推進交付金事業です。平成24年7月から株式会社ものづくり学校が指定管理者となり、長期利用15室。短期利用7室の管理と運営を行っています。
現在、入居しているのは、地域おこし隊の2名とフィルムコミッション事務局の2名、そして入居企業4社となっています。現状はIターンとUターンの人が入居しているところであり、企業は4室が埋まっている状況ですから、これからの展開に期待しているところです。
現在の入居企業は、蜂蜜販売、イラスト制作、英会話、インターネット販売の会社となっています。町からのこれらの企業への支援は、2年間、毎月10万円の生活支援交付金を支給しているところです。課題は地元の企業家で入居希望者がいないこと、部屋が22室あるのに4室が埋まっているだけで空室率が高いことがあります。都会からの移住を含めてもっと利用促進を図りたいところです。
過疎対策とビジネス創出を図る取り組みは始まったばかりで、離島の挑戦を期待して見たいと思います。
最後に後醍醐天皇の居住地とされる神社を訪れました。一つの時代を築いたのに島流しされた天皇の心中はどうだったのでしょうか。この地に立つと、歴史は人が作ってきたドラマであることを感じました。
そして隠岐空港へと向かいました。三日間の視察はリーダーの役割について学び、意識が変わると行動が変わることを理解し、領土問題に触れる機会となりました。充実した視察になったことを報告します。