活動報告・レポート
2014年1月25日(土)
カーネルサンダース
カーネルサンダース

暖かくて穏やかな一日でした。ほぼ一日を珍しく、ゆったりとした時間と気持ちで過ごすことができました。そんな中、カーネルサンダースの物語が放送されたので、偶然観ることができました。ケンタッキーフライドチキンの創業者は貧しい家庭に生まれて苦労の末、60歳を過ぎてからケンタッキーフライドチキンを創立した偉人です。

そんなカーネルが生涯大事にしていた言葉が、子どもの時に母親から聞かされた言葉です。「仕事をずっと続けるための唯一の方法は、自分のベストを尽くすことなのですよ。自分のできることを全力でやりなさい」という言葉を大切に持ち続けていたそうです。

職業を転々とした後、辿り着いたのはガソリンスタンドの経営でした。最初は流行りませんでしたが、「ベストを尽くす」ことから諦めず、給油のお客さんの車の窓ガラスを拭くサービスを始めました。当時、どこのガソリンスタンドも行っていなかったもので、付加価値をつけたことから流行り出したのです。続いて得意の料理を活かすために、ガソリンスタンドの中の部屋に簡単なレストランを設けます。味が良かったので、小さなレストランは評判になりました。料理店を経営したかったカーネルはガソリンスタンドを閉め、レストランに専念することになります。そしてサンダースカフェをオープンしたのです。美味しいことから繁盛し順調に経営できると思っていたのですが、原因不明の火事によってレストランは焼失、全ての財産を失ってしまいます。

もう駄目だと思いますが、常連のお客さんから「もう一度あのチキンを食べたい」という要望に応じてサンダースカフェを再建します。

今度は順調に行きましたが、自動車の普及と幹線道路の整備、そして高速道路の開通により、サンダースカフェの前は素通りする裏道の道路となり、お客さんは立ち寄らなくなりました。

「もう駄目だ」と思った時、やはりベストを尽くそうとします。チキンの味を売り込むことにしたのです。当時飲食業界では馴染みのなかったフランチャイズ制度を導入しようとしたのです。フライドチキンのレシピを提供する代わり、売れたら一個について2セントを返してもらうというライセンス契約を考えました。

ユタ州の友人ピート・ハーマンが経営するレストランが契約の第一号になってくれましたが、その後に続く人は現れませんでした。レシピというソフトにお金を支払う経営者はいなかったのです。

しかし幸運が訪れます。ピート・ハーマンのレストランが誤って紙の容器を大量に発注してしまったのです。返品することはできなかったので、困ったピート・ハーマンは、この紙の容器にケンタッキーフライドチキンとポテトを入れて店頭販売を行いました。これがヒットしたのです。

当時、テイクアウトという販売方法はなかったのですが、自動車でレストランに行ってそこで食べないでレストランの料理を持ち帰って自宅で食べられるというスタイルの便利さに人々は気付いたのです。

自動車社会の到来がテイクアウトという飲食のスタイルを生み出したのです。テイクアウト方式だと簡単なお店で良いことから、カーネルの元にたくさんのフランチャイズ契約の依頼が飛び込むようになりました。全米で200店舗、国外にも評判が飛びアメリカ以外でも600店舗へと拡大を続け、フランチャイズのしくみを確立していったのです。

カーネルサンダースは契約している店舗に出向き、自らチキンを調理するなど店頭での指導にあたりました。そんな姿勢が評判を呼び、店舗は拡大して行くことになります。彼はアメリカで一番有名なシェフになりました。

その後のフランチャイズ展開は周知の事実です。私達が今の時代に美味しいチキンを食べられるのは、カーネルサンダースの不屈の闘志があったからです。先人のお陰で今がある。そんな気持ちになりました。

その他
  • 通夜式に参列させていただきました。お別れの会に際して、心からご冥福をお祈りしています。
  • 雇用問題に関して話を伺いました。春が近づいてきましたが、学生の皆さんにとって明るく希望の春になることを祈っています。