活動報告・レポート
2014年1月5日(日)
同窓会
同窓会
同窓会

小・中学校時代の同窓会に出席しました。7年前に卒業以来となる30年振りに同窓会を実施、5年前にも開催して以来の同窓会となりました。7年前の同窓会以降から毎年、小さな単位で同窓会を実施しているのですが、5年振りの大規模な同窓会を開催しました。

参加者は約60人ですが、卒業生が約200人だったことを考えると参加率は良い方だと思います。中学校3年生の時の先生も二人来ていただき、共に楽しい時を過ごせました。

冒頭、先生から中学校の校舎の話がありました。当時の東和中学校は古い木造校舎で、私達の卒業後建て替えが続き、現在の校舎はあの頃なかった校舎になっています。校舎はなくなっていますが、話を交わしていると当時のことを思い出すことができました。夏は暑くて冬は寒い古い木造校舎でしたが、楽しい毎日を過ごしていたように思います。

さて開会に際して、同窓生の配慮があり挨拶をさせていただきました。

新年おめでとうございます。新年に同窓会を開催して顔を合わせられることは幸せなことであり、この後、一緒に楽しい時間を過ごせることに感謝しています。本来であればご苦労をしていただいた幹事の皆さん、元生徒会長に挨拶をしてもらいたいところですが、多分、片桐に頼めば断らないだろうということで依頼が来たと思っていますので、少し挨拶をさせていただきます。

卒業してから30年が経過した7年前に和歌山ロイヤルパインズホテルで同窓会を開催し、5年前にアバローム紀の国で第2回目の同窓会を実施したと思います。今回は3回目の全体の同窓会になると思います。私達が東和中学校を卒業したのが37年前の1977年で、東和中学校に入学したのが1974年ですから、40年も前のことになっています。中学校を卒業してから37年ですが、入学してから数えると40年も経過していることに驚いています。

13歳から15歳までを過ごして中学生の時からもう40年もの時が経過していることに驚いています。年月は信じられないほどの速さで私達を追い越しています。

ところで当時の東和中学校の後輩と話をする機会があるのですが、「あの時の3年生はとても怖かった」と言われます。当時は怖いとは思っていませんでしたが、後輩から見ると怖い先輩だったようなので、客観的には怖かったのでしょう。そう言えば中学校の時に鍛えられたお陰で、その後、社会に出てからも怖いものがありません。振り返ると楽しい中学校時代だったと思います。

40年の時を越えて、こうして同窓生と楽しい一時を過ごせることは幸せなことだと思います。あの頃があったので、今がある。そんな気持ちがしています。1977年、東和中学校卒業生の今に、同窓生として集まれたことに対して、そして私達の未来に祝福したいと思います。ともに楽しい時を過ごしましょう。ありがとうございます。

同窓会

正午に始まった同窓会は午後3時まで続き、その後場所を変えて二次会へと移りました。食事も会話も、懐かしい名前も全て楽しくて、10歳代の頃に戻ったような気持ちになりました。みんなと話して感じたことは、純粋な気持ちは変わっていないということです。それぞれが社会の波に揉まれていますが、中学生当時と何も変わらないように思いました。

過去を肯定し、今を生きている。そして今日から明日に向かっている姿勢があります。嬉しくて頼もしい同窓生との時間は、温かい時を刻んでくれました。

今日でお正月休みは終わりですが、とてもよいお正月を過ごすことができました。

最後は生徒会長の挨拶で締め括りました。締め括りの挨拶を考えてきてくれたと聞いていました。とてもよい挨拶でした。

予想もしていなかった厳しい時代となり、明日はどうなるか分かりませんが、是非、生き抜いて下さい。生きるだけではいけないのです、行き抜いて下さい。苦しい時は同窓生に相談するだけで良いと思います。仕事も生活も違うので何の解決にも繋がらないかも知れませんが、それでも相談できる相手がいるだけで生き抜く力になっています。これから先はどんな時代になるか分かりませんが、ここに集まったみんながいます。また同窓会を開催する時も、今日と同じように楽しい仲間でいたいと思います。次もまた会いましょう。

とても素晴らしい挨拶でした。みんなと交わした言葉、語り合ったことを今日の出来事として持ち続けたいと思います。皆さんに感謝しています。

その他
  • 午前9時から、今年の活動計画についての打ち合わせを行いました。今年実現したいことを話し合い、期限を区切って取り組むことにしています。
  • 通夜式に参列させていただきました。昨日、57歳でこの世を去ったMさんの無念を思うと心が痛みます。医師からは「余命は一週間です。お正月を迎えることはできないと思います」と宣告されていたと伺いました。一週間という限られた命をどう生きたのでしょうか。心中は分かりませんが過酷な運命と向き合い生き抜いたと思います。心からお悔やみ申し上げます。