和歌山県書道会館において天石東村生誕百年記念展が開催されているので行ってきました。名前は知っている天石東村さんですが、偉大な書道家であることを再認識しました。天石先生の作品は流れるような書体で、水のような瑞々しさを感じるものです。興味深いのは、初期の書体と完成期に入ってからの書体は全く異なるものだということです。師匠について習っている時はやや硬くて書の基本形が随所に現れていましたが、自らの書体を完成させてからは流れるような文字になっています。最初は倣うことから入り、練習でそれを何度も何度も繰り返します。基本を身に付けてから自らの命をそこに吹き込むのです。自分流のものを完成させることが大切なことだというものです。先生は、模倣から自分の作品へと展開していくことが大切だと伝えてくれていますが、どの分野にも当てはまることです。
最初から自分流の型を持っている人はいません。いるとしたら、それはまがい物で評価されないものす。最初は基本を習うことから始めなければ、素人の自己流に過ぎません。作品を見ていると、そんなことを感じました。
ところで懐かしいものも展示されていました。和歌山県書道教育誌の「書の友」です。かつて小学校時代に書道を習ったことのある人であれば誰でも知っている「書の友」は天石先生の刊行物だったのです。ここに自分の名前が掲載されていることを喜び、級が上がっていくことをドキドキして「書の友」を開いていた小学生時代のことを思い出します。
展示作品の中に「今日無事」という書がありました。人生の本質を突いているものだと思いました。今日が無事であることが何よりの褒美で、それ以上を求めるのは欲というものである。そんなことを感じるからです。ある人は玄関に「今日無事」の色紙を飾っていると話してくれましたが、朝出掛ける時に、今日無事に働こうと思い、帰ってきた時は、今日無事で良かったと思えることでしょう。
先生の色紙は蔵に入っているものではなくて、生活の中にあって価値のあるものだと思います。芸術は人を元気づけ、励ましてくれるものであるべきです。そんな書に触れられたことに感謝しています。
ところで今回は生誕百年記念の特別展でしたが、これほどの規模の作品展が次回開催されるとは限りません。素晴らしい作品展を紹介していただき、案内してくれたことに感謝しています。人生において意味のあることだと感謝しています。
午後からは約100人が参加する懇親会に出席しました。ある組織で役員をしてくれていたSさんが退任したことの感謝と労いの意味を込めた会です。十年以上に及び役員をしてきたのは強い精神力と決断力があるからです。トップは孤独ですから、孤独に打ち勝つ精神力と最終責任を持って決断力が必要です。そんな大変な仕事を受け持ってくれたことに感謝しています。
人の世話役をするということは、大切な自分の時間を犠牲にすることでもあります。本来であれば自分のことで楽しみたいと思いますが、そんな時でも人のため組織のために力を尽くすのです。簡単なように思いますが誰でもできるものではありません。どんなことでも名人級の人なると、物事を簡単に仕上げてしまいます。見ている人は簡単だと思い感謝の気持ちは薄れますが、名人級の人は誰でもできることをしている訳ではないのです。
難しいことを簡単にやってのけることが名人級の仕事です。トップの仕事もそんなもので、常に精神のコントロールと厳しい決断を繰り返しています。
歴代役員の皆さんが出席したこの会で、そんなことを感じながら懇親させてもらいました。楽しくて学べる会に参加できたことを嬉しく感じています。