活動報告・レポート
2013年11月6日(水)
特別委員会視察
特別委員会視察

東南海・南海地震等対策特別委員会の視察に参加しました。行程は今日から三日間で、宮城県と岩手県を視察した後、東京都に入る予定です。

初日の今日は仙台空港まで行き、そこから宮城県議会を訪ねました。宮城県議会では宮城県議会畠山議員と懇談し、東日本大震災当時の県議会議員としての動きを中心に話を進めました。

畠山議員は気仙沼選出の県議会議員で、自らの自宅も津波被害に遭い流されています。2年前の3月11日の津波発生時は県議会開会中であり、当時議長の畠山議員は議会を中断し、動向を注視すると共に情報を集めました。この地震と津波はただ事ではないことを知り、避難先の議会の外庭で津波対策が必要なことから議会の延長を決議しました。本会議場で議会を行うのではなく、避難先で議員が揃っていたことからその場で議会を開会し、即座に会期延長を決議しました。畠山議員は自宅が流されたため議会近くのマンションに仮の住居を構え、そこから気仙沼まで被災状況の把握と支援活動に当ったようです。

自宅が流されたことから着替えも何もなく、スーツも着ていたものと議会に予備としておいていたスーツだけになっていました。それでも懸命の支援活動を行っています。

被災時に最も県議会議員として重要なことは、現場の情報を集めること。そして早期に予算を決めなければ対策が出来ないことから本会議を開会し、必要な対策に対する予算を決議していったことです。ただ議会が執行機関の行動を規制することはできませんから、早期対応が必要な対策に関しては知事専決処分を行い、追認するという形を取っています。

もうひとつ重要なことは、議員が個別に現場活動を行うと情報が乱れ、県当局も個別対応をする時間が取れないため、特別委員会を設置したことです。特別委員会としての動きを中心に据えていました。現場調査と情報把握、そして市町村議会との連携と要望を受け付けたことなどが特別委員会の果した役割です。

災害発生当初は食料、飲料水、燃料を必要としました。そして現在は被災者の住宅か必要となっています。

このように最も大事なことは情報収集であり、救助方法や復旧作業などの基になるのが情報を把握することなのです。しかも非常時の情報は二重、三重に取ることが必要で、大半の情報は口頭によるものであり、「こうらしい」という不確かで断片的なものばかりになります。ですから情報は複数から取ることと、「こうらしい」という情報は確認することが必要となります。

その後が政策に反映させる取り組みになります。行政手続きを変えていくことも役割です。例えば運転免許証をなくしてしまった人が多数いました。しかも身分を証明するものはない上に免許証の手続きする場所が交通センターだったので、そこまで移動することもできません。そこで仮設事務所で運転免許証の発行手続きができるようにしました。住民の皆さんの近くで行政事務ができるように対応したことも議会としての役割でした。

そして県の機関についての問題もありました。宮城県では出先行政機関の長の専決権限が小さく、決裁できる金額は700万円であり現場で即決できませんでした。それに対して岩手県の出先機関の長の専決権限は5億円であり、必要な措置に対する決裁は迅速でした。

この違いは、岩手県は四国と同じくらいの面積を有していることから、出先機関の長の専決権限金金額が大きくなっていたためです。災害発生時は現場に対応可能な決裁権限を付与することが必要だということです。

特別委員会視察

繰り返しますが、被災現場に近いところに権限があること、即決できることが迅速な対応につながります。その間、畠山議員は気仙沼市役所の災害対策本部に詰め、情報収集と動向把握に努めていました。その結果を受けて県議会で必要な対策を講じるように調整していたのです。現場からの要望、市町村からの要望などを把握し、県当局や国とも連携を行い、必要な対策と予算要望活動を行っています。

非常時の県議会議員としての動きと必要なことについて意見交換が図れました。非常時には公的機関が機能することが大事なことであり、議員も組織的にそして行政が分からない地域の声を把握する活動が必要だということです。

その後、仙台市から気仙沼まで移動し、明日の視察に備えました。参考までに、仙台市は伊達政宗が開いた場所で、伊達家が千代続くようにと願いを込めて千代と名付けたと聞きました。千代が仙台に漢字が変わり現代に至っています。伊達家は千代続くことなく十六代で終えたそうですが、仙台市は現代も東北一の町として栄えています。