活動報告・レポート
2013年10月26日(土)
ドバイの感想

先月、ビジネスでドバイを訪れた方と懇談する機会がありました。ドバイまでの飛行時間は約10時間で、エミレーツ航空を利用して往復11万円で行くことができたそうです。

ドバイは世界一が揃っている国でドバイモールというショッピングセンターにはスケートリンクや水族館もあり、言うには「何でもあり楽しめる場所」だそうです。「日本製品はたくさんあるのですか」と尋ねると、「ほとんどない」という事です。電気製品はソニーのテレビが展示コーナーの隅の方に少しあるだけで、前面に置かれているのはサムスンの電気製品だったようです。地元の人に聞いてみると「サムスンの製品はとても良い」という評価で、日本の製品に関しての評価は、使われていないので「分からない」ということでした。

但し、日本という国は「とてもよい国」と評価されていて、日本人も「控え目でとても良い」という評価があると聞きました。世界の中での日本は好印象ですが、控え目なので国際競争の舞台では韓国や中国の製品に取って代わられているようです。ドバイには韓国の製品が溢れ、北京からドバイまでは多くの定期便が毎日就航しているようです。国内には中国人は多いのですが日本人はほとんど見掛けなかったそうです。それだけ日本からの投資は少なくなっているということでしょうか。

ドバイの富裕層は桁違いだそうで、自家用のリムジンに乗ってショッピングセンターに横付けします。運転手はインド人、荷物持ちや財布持ちの付き人がいて、これらの役割もインド人が務めています。

「日本には来ないのですか」と尋ねたところ、「ドバイにないものが日本にありますか」と答えたそうです。つまりドバイには何でもあるので、わざわざ日本に行く必要はないということです。

ホテルやショッピングセンターの空調は寒いくらい良く効いていて、滝が好きなのか街中に滝を見掛けることが多かったそうです。水が石油よりも高いのに水が溢れているという光景は不思議です。

ところでドバイに来た時はワクワクしたようですが、現地にいるドバイ人とフランス人とのビジネスを終えると、もうすることがなくなりました。ショッピングやショー、食事を楽しもうと思っていたのですが、何もすることがなければ退屈で、早く帰って仕事をしたいと思ったそうです。

人は社会の中で役割を与えられることでやりがいを感じるものであり、社会の中に存在する場所がなければ退屈で存在している意味を感じられなくなるようです。人にはビジネスという役割と遊びの両方が必要で、遊びだけで長い期間を生きていられないのです。

「ドバイに滞在していて遊ぼうと思っていても、そんな時間は退屈で何時までもいられないですよ」と話してくれました。「仕事ができることに感謝したくなりました」と悟りを開いたようです。

仕事ができていることに感謝する。ビジネスがあり少しの遊びがある。そんな当たり前の日常が幸せな時間となっています。その中に漂っていると、幸せが見えなくなっているのです。だから「仕事ができるのであれば、少々辛くても頑張っていけると思いました」と話してくれたように、仕事がない退屈な時間、そして誰にも知られていないという空間に人はいられないのです。

社会の中に居場所があること。それはとても刺激的で存在価値が認められ、働けることは幸せなことなのです。ドバイという、日本からすると異国に行くことで見えたものがあるようです。