活動報告・レポート
2013年10月15日(火)
研修会二日日

前日は京都に宿泊して今朝が二日目です。昨日は午後12時過ぎまで話し合っていました。解散後、隣の部屋のメンバーは、引き続き話し合いを続けていたらしく、最終午前4時まで起きていたと聞きました。そして今朝は午前6時に起床ですから、とてもタフなメンバーです。チームやリーダーには、氣力と体力が必要であることを再認識することができました。

少しだけですが京都市内を巡りました。古都には名所がたくさんあります。建造物もそうですし、自然そして食文化も優れた見所です。食と言えば京料理は盛り付けも上品で味も上品です。確かに、ここでだけ味わえる料理というものが存在しています。味付けの繊細さと、各地から集められた食材を京風に仕上げています。時に議論されていることですが、地元で取れた食材でなければ地元の文化や地元食とは言えないという議論です。考え方が違うことや定義も違うことから正解はないと思いますが、例え食材が地元産でなくても、そこで加工してオリジナルな食事を創作していれば、それは地元食と伝えても良いと思います。そこで開発されその場所で加工されているものは、その地域のオリジナルなのです。食材を他の府県から買っているとしても、食文化を否定することはできません。

それを批判する暇があるなら、良い食材が取れる地域はその食材を生かした料理を創作し全国に問えば良いのです。京料理はユネスコの無形文化遺産登録を目指している文化度の高い料理です。それは加工製品と似通っています。加工製品の部品は各メーカーから集められ、最終工程は販売メーカーで組み立てます。部品の価格は安価だとしても、メーカーのブランド力をまとった製品の価値は高まっているのです。

例えばアップル社のスマートフォンは人気商品で高価なものですが、それぞれの部品単品だと高価なものにならないと思います。デザイン性や高機能を持つ最終製品だから市場が価値を決めているのであって、そのスマートフォンは単なる寄せ集めに過ぎないから良い製品ではないと言えません。

部品がどこの国で作られていようとも、製品を送り出しているアップルというブランド力が価値を高め、それはオリジナルな製品なのです。

京料理を拝見して全く同じだと思いました。京料理は食べてみたいと思わせるブランドなのです。個々の食材の産地はどこであっても、良いものを仕入れ伝統の技で加工しているから価値があるのです。料理ひとつをとっても京都の底力が感じられますし、これを批判することは陳腐な人間だと思わせるに十分な食の力を感じさせてくれました。

今朝提供してくれた京料理から、そんなことを感じました。

京都

そして市内の寺院ひとつだけ見てきました。紅葉はまだでしたが、寺院内の木々の深緑は赴きと風格がありました。その寺院の門の上に登ったのですが、約10メートルの高さから見る景色は最高の眺めでした。地上で見る景色と10メートルの高さから見る景色は視点が違う分、全く見え方は違います。そこに何百年前に作られたであろう門の上に立って景色を見るという歴史からの視点が入っているので、地上からの景色と全く異なる景色に見えました。

地上高と歴史という視点で寺院や市内の景色を見ると、心の中では遥か遠くまで見通せます。直接的には寺院の配置、庭の作りの趣を見取れますし、心の中ではここで繰り広げられた歴史を想像し、ここからわが国の文化を発信していたことに思いを巡らせることができます。

京都

その場所で景色を見るという行為は、その時代背景を知り、そこでのストーリーを知り想像することが楽しみです。学術的な歴史は専門家に委ねるとして、自分が関る歴史に関しては、知りえた情報を基に自分でストーリーを組み立て想像することが楽しいのです。

1000年以上も都であった歴史のある京都の景色は、そこで起きたことを想像することが楽しいのです。これは日本の他の都市にはない魅力です。

和歌山県の観光につなげられない部分がありますが、観光とは光を見ること、そこから想像することの楽しみを和歌山県の観光にも持たせたいと思いました。

台風が接近していることから雨の京都でしたが、楽しくて思い出に残る研修会となりました。