あるところに高齢者の一人暮らしのおばあさんが住んでいます。田の渕に腰を掛けて雑草を抜いていました。そこに通り掛った自治会長が「おばあちゃん、おはようございます。暑いので無理をしないように」と挨拶をしました。おばあちゃんはにっこりと微笑んで、「挨拶をしてくれるのは会長だけですよ。嬉しいです」と答えました。その後、会長はおばあちゃんと話をしたのですが、そのことについて聞かせてもらいました。
一人暮らしの高齢者は、一日中、誰とも話をしないで過ごすことが珍しくないようです。言葉を聴けるのはテレビだけという時もあり、孤独感が一人暮らしを不安な状態にしているようです。ですから通り掛った時の挨拶だけても、とても嬉しいことだと聞かせてもらいました。一日の中で会話をする機会は、その挨拶の時だけかも知れないのです。
高齢社会において孤独という問題が潜んでいます。会話をする相手がいない。近隣でも会話を交わす機会がない。そんな不安が一人暮らしの高齢者の傍にあるのです。
孤独をどう解消するのか。行政の支援や助け合いといった対策では難しい問題です。高齢社会を生きることは健康面、経済面ともに孤独感の解消という大きな問題がと向き合うことが必要です。改めて感じることは、挨拶や会話ができることの喜びは、人にとって大きな喜びだということです。
田の渕に腰を掛けたおばあさんと自治会長の何気ない風景の中に、大きな社会問題がありました。対応する案は分かりませんが、高齢社会、そして地域社会の課題がここに潜んでいることを認識しました。
お世話になっている市内のお寺を訪ねました。ここの住職さんはひとつ年下で獣医をしていますが、実家のお寺の住職も兼ねています。お彼岸の今日、慌しくしている中、ちょうどタイミングが合い会うことができました。
私の同級生だったS君と獣医大学で一緒だったことから、S君を偲ぶ懐かしい話になりました。「面倒見が良くて後輩思いでした」という言葉に、彼の人柄が偲ばれます。
仕事が忙し過ぎて自分の健康を二の次にしていたことが命取りになったと思います。一年365日仕事と勉強会への出席で休むことなく働き続けた姿を思い出します。勉強会に関しては「技術は日々進歩しているので、常に勉強して知識を身に付けなければ遅れてしまう」という言葉を思い出しました。新しい知識を身に付けることが生き残るために必要なことであり、信頼してきてくれるお客さんに応える手段でもあるのです。
休みたい時に勉強会に出掛けることはしんどいことですが、それを続けることが成長につながります。
お彼岸の一日、この世を去ってしまった同級生のS君のことを思い出す話となりました。
Iさん親子と会いました。お元気で活躍されていることを聞かせてもらいました。もう15年以上も和歌山県内を中心に介助犬の普及活動を続けていています。今年11月の和歌山県の福祉イベントでの介助犬の出演を最後に引退することを決めています。「今年が最後」という言葉には重みがあり、やりきって終えられるという覚悟も感じられました。盲導犬の普及活動で県内を一緒に巡ったことも思い出しました。
Iさんは、和歌山県内に盲導犬訓練所がないので、何とかして県内に設置したいという思いを持っていました。訓練施設のある千早赤阪村と連携して盲導犬を必要な人に提供する活動のためチャリティイベントや募金を集める活動を行っていました。
施設の誘致や設置は難しいことから残念していますが、介助犬を必要としている人のところに提供できるしくみは必要だと思います。Iさんは自身の年齢から引退することになりましたが、引き続いての支援をお願いしました。
Kさんのお別れの会に参列させていただきました。66歳という年齢でこの世を去っていきました。ここ数年は闘病生活を続けていて、余命2年半と宣告を受けながらも闘い続け発病から5年生き抜き抜いたと聞きました。心からご冥福をお祈りしています。