活動報告・レポート
2013年9月15日(日)
長唄の会
台風接近

台風が接近しているため一日中、雨天となりました。午前中から打ち合わせが続きましたが、危険防止のため全て事務所で行うことにしました。午前10時から、11時から、12時から、そして13時からと続けて、それぞれが抱えている案件について話し合いました。

休日なので連続して決まった場所で、皆さんと会うことができました。動いているとなかなかまとまった時間が確保できないのですが、同じ場所で話し合えると時間がとても有効に使えます。台風接近の中、事務所に来ていただいた皆さんに感謝しています。

長唄の会
長唄の会

長唄杵屋栄七珠の会に行ってきました。これはこの会が主催している定期演奏会で、毎回楽しみに参加しています。長唄とお三味線の和の文化を楽しめる機会で、秋の日にとても素敵な日本の香りを楽しむことができます。お三味線の音、お琴の音、そして長唄の声。聴く人にとって心地良く、そしてゆったりとした気分にさせてくれます。

文化に浸る時間を持つことができるのは幸せなことです。自分で日本的な演奏や芸術に親しんでいない限り、進んで参加しなければ触れることはできません。しかし機会を持とうと思っても、地方都市の場合、どこで何をしているのか分からない場合があります。

お誘いをいただかなければ開催時間や場所が分からないことが多いのです。幸い、毎回、お誘いをいただいていることから聴かせてもらっています。

この感覚は、目の前に漂っている空気を吸い込み、深く浸透させている。そして日本の大地の中に確かにいる。そこにバーチャル映像のようにうっすらと光景が浮かんでは消えていく。確かに正体を見ることはできないけれど、日本人の心に受け継がれているものを見ているような気になります。

簡単に言うと、目を閉じていると気持ちが良いということです。お三味線の音色は日本人の波長に合っているのか、DNAに刷り込まれているのか分からないほど共鳴してきます。

春や秋に聴くと特に顕著で、遠い昔に連れて行ってくれるような心地良さがあるのです。欲を言うと、台風も雑踏もなく、聞こえてくるのは内なる声だけという状態にしたいと思うのです。しかし内なる声というものは曲者で、お三味線の音と長唄の声だけが聞こえるのなら良いのでが、途中から自分の声も聞こえてきます。少しニュアンスが違うのですが、似た感覚で言うと雑念が起きます。

「台風だけれど帰りは大丈夫だろうか」、「今日やり残したことはないかな」、「明日の予定を確認しておかなければ」などという雑念が聞こえてくるのです。そんな内なる声を消してしまおうとする気が起こります。いまここで参加していることに没頭することの難しさを感じます。

ここにだけ集中すればもっと良い体験となり、役立つのに自分の内なる声が邪魔をしようとするのです。それは消しても、消しても聞こえてくるもので、即ち、鍛錬が足りないということです。天の声、地の声を聴くことができること。これを自在に操れるとそこの中に自然に存在していることになります。

もっと進むと宇宙の声が聴こえてくると聞きます。この声は相当の鍛錬をしている人だけが聴くことができるようです。そこまで達することは難しいと思いますが、せめて演奏会などに参加している時は、天の声、地の声は聴けるようにしたいと思います。

文化の秋と言いますが、秋に日本文化を楽しむ機会のある人は少ないと思います。そして本物に触れる機会も少ないと思います。和歌山市でこんな機会を提供してもらえていること、そしてお誘いいただき参加できていることに深く感謝しています。このような素敵な一日が心に栄養を与えてくれて、成長を促す働きをしてくれることを知っているからです。「素敵な秋の一日をプレゼントしていただきありがとう」と、杵屋先生を始め演奏してくれた皆さんに心から感謝しています。