活動報告・レポート
2013年9月6日(金)
美浜発電所
美浜発電所

昨日から宿泊した旅館の経営者と話す時間がありました。旅館経営者の話はとても勉強になるものでした。

美浜原子力発電所の稼動が停止してから宿泊客が減少しています。定期点検の作業に従事する人や観光客が減少しているからです。美浜町の人口は約11,000人で若い人の働く場所がないので、人口は減少しています。1970年代に美浜発電所が稼動してから町は原子力と共存していて、原子力職場が失われると働く場所がなくなり、他府県へ転出している人も増えています。

経営者の言葉を借りれば「美浜町と原子力は共存しているのではなくて共同体です。町と原子力は一体で発展していくものです。共同体であるということを国に知ってもらいたいと思います」ということです。先般、経済産業大臣が美浜町を訪れたそうです。その時、この経営者は大臣に対して同じ主旨の意見を述べています。地元で旅館を経営している者がどれだけ大変な思いをしているかを訴えています。サービス業はお客さんに来てもらって商売が成り立ちます。風評被害によってお客さんが減少していることに対して、自助の取り組みではどうしようもない現状があります。

原子力と共同体だという覚悟を決めた経営者であり町からすると、国の都合で建設した原子力を、今度は事故が起こしていない発電所なのに国の都合で停止することは理解できないと訴えてくれました。

地元経済、若い人の雇用確保、そして地元のサービス業の存続などの観点から、原子力発電の必要性を強く話してくれました。

「何と言っても原子力発電所が町に存在していいます。町と原子力は共同体として生きているのです。国が外部から来た人の意見に左右されることは頂けません。時間が経過すれば外部から来て反対している人は町からいなくなります。反対することは自由ですが、それなら美浜町から送っている電気を使わない生活をして欲しいと思います。自分は電気のある暮らしをしていて、原子力と共同体となっている町の暮らしを消滅させようとしているのです。仕事がなくなり雇用も減少、サービス業ではお客さんが来なくなり、地元経済は低迷。誰が責任を取れるのですか。国策で進めてきた原子力ですから責任を持った判断をして欲しいと思います。美浜町に美浜発電所は必要だということを知って下さい」と話してくれました。

地元で生きる人の地元の意見を聞かせてもらいました。原子力と共に生きる覚悟をしている経営者の切なる声です。今、ここで生きる。そんな覚悟を聞かせてもらいました。

その後、美浜発電所の見学に向かいました。発電所では地震や津波対策の考え方と計画、そして発電所構内で工事現場を見せてもらいました。しっかりとした安全対策の計画を策定し、それを実行していることが分かりました。ここでも覚悟を持った人が実務をしていることを感じました。安全を守る、そして社会責任を果し、使命を果たすことで社会の発展に貢献しようとする意気込みを感じました。

人は社会の中に役割があり、その社会的使命を果たすことで生き甲斐を見出します。一般的に、反社会的なことや危険であると分かっていることを追求することはありません。自分の責任を果たすための持ち場で勝負している人の強い覚悟と責任感を痛感できました。

覚悟を持つ人は強い。そんな人を信じるべきだと強く感じました。

観光課

神武天皇の足跡を辿るツアーで宮崎県から和歌山市に来てくれる皆さんをお迎えするための話し合いをしました。平成27年の和歌山県での国体をPRすることや、和歌山市での歓迎についても話しました。今回の来県によって和歌山市の印象を持ち帰っていただき、平成27年の国体にも来てもらえるような対応をしたいと思います。

沼田準一さん
沼田準一さん

NPO法人エルトゥールルが世界を救う顧問の沼田準一さんが講演のため和歌山市に来てくれました。福井県から和歌山市に戻る時間が遅くなり、講演は聞くことができませんでしたが、講演会の後に会うことができました。

沼田さんがエルトゥールル号のことを知り、講演活動を始めたのは2008年のことです。それは偶然見ていたテレビ番組で、120年以上も前のエルトゥールル号遭難事件のことを知ったからです。

しかしそれは偶然ではなくて沼田さんの体験が、ここに連れてきたように思います。1985年3月、イラン・イラク戦争において、イラクのフセイン大統領が「48時間後、イラン上空を飛ぶ全ての飛行機は墜落させる」という宣言をしました。この時、テヘラン空港に残された日本人を救出したのがトルコの航空機でした。その時救出された日本人は215人いましたが、その中の一人が沼田さんだったのです。その時、沼田さんは「日本政府から見捨てられた」と思ったのですが、その次の瞬間「何故トルコの飛行機が救出してくれたのだろう」と思ったそうです。トルコ政府が危険を冒してまで救出してくれた理由が分からなかったのです。その理由が分かったのが、後の2008年のテレビ番組だったのです。

日本人が遭難したエルトゥールル号の乗組員であるトルコ人を救助した歴史を知り、直ぐに和歌山県串本町を訪れています。その後エルトゥールル号事件のことを伝える役割を果たしてくれています。

本日の沼田さんとの懇談の中で当時救出してくれたトルコの飛行機の機長が、今年の2月24日が亡くなったことを教えてくれました。87歳だったようです。そして後に沼田さんが機長から聞いた話を教えてくれました。機長は「日本人を助けられたことを誇りに思う」と沼田さんに伝えたそうです。その機長はエルトゥールル号事件のことを知っていて、トルコ人が日本人に助けられたことに対する恩返しができることを誇りに感じ、救出の飛行機の操縦を志願してくれたのです。

自分のことではなくて120年も前のトルコ人が受けた恩を自分で返せることを誇りに思い、危険な救助に向かってくれたのです。歴史を学び、事実を知る、そして自分で行動することの尊さを感じます。

奇しくも平成27年に開催される紀の国わかやま国体開催年が、エルトゥールル号事件から125周年の年になります。歴史の偶然性というか必然性を感じます。エルトゥールル号の映画のクランクインが平成26年ですし、平成27年には記念行事も検討しているようです。国体開催の年に向けてエルトゥールル号のことが流れているように感じます。

エルトゥールル号事件、テヘラン空港での日本人救出、そして125周年という流れを、この歴史を知る人が伝え次の時代に継承したいものです。テヘラン空港でこの歴史を体験した沼田さんが和歌山県とのご縁を保ち、講演活動をしてくれていることに感謝しています。今日の出会いが次につながるように、エルトゥールル号の舞台となった和歌山県として取り組むべきことを整理したいと考えています。