和歌山市汀丁の汀公園に和歌山大空襲の慰霊碑があります。第二次世界大戦の時、和歌山市に空襲があったのは昭和20年7月9日のことです。戦争を知らない世代が社会を担う時代になっていることから、この歴史を伝え聞きました。
それによると、大空襲当時汀公園は旧県庁舎跡の空き地で避難場所となっていたようです。しかし空襲によって焼夷弾で市街地が焼け、その熱で旋風が巻き起こり、空き地一杯に集まっていた人たちが風に吹き飛ばされ、地面にたたきつけられたようです。そして和歌山城の堀や防火用水、防空壕の中など、この付近だけで748人が亡くなったと聞きました。亡くなった方はこの地に埋葬され、昭和23年には汀公園整備を行い、この時死亡した1303人の遺体を再度荼毘に付しています。昭和28年に慰霊碑として大慈大悲の尊像を建立し、毎年7月9日に和歌山市戦災遺族会が慰霊祭を行っています。
平成25年7月8日、慰霊祭の前日、姫路市から二人の方が和歌山市に来てくれました。翌日の慰霊祭の前に慰霊碑の清掃をすることだけを目的に、和歌山市まで来てくれたのです。宿泊はダイワロイネットホテル和歌山で、ここで偶然であった人が姫路市から来てくれた二人の話を聞き、和歌山市の案内などおもてなしをしてくれたのです。
二人は和歌山市の戦没者の扱いに疑問符を投げ掛けていたと聞きました。それは前日なのに誰も清掃していないし、和歌山市に式典のことを訪ねたところ、和歌山市の行事ではないので分からないという答えがあったからです。
和歌山市大空襲で亡くなった先人を偲ぶことをしないで、7月9日に和歌山市役所は何を想っているのかと思ったそうです。折角、汀公園に慰霊碑を建立し、祭っているのに魂が込められていないと、戦争の記憶が風化していることを感じたそうです。
さて姫路市の手柄山中央公園には太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔があります。この慰霊塔には姫路市内で亡くなった人だけではなく、全国の死没者を祀り供養しています。当然、和歌山市の死没者の供養もしてくれているのです。
一般財団法人太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会によると次のように記載されています。
「太平洋戦争中の空爆その他による犠牲者で、軍人軍属以外の50万9,700余の死没者を供養し、その霊を慰めるとともに、世界の恒久平和を祈念するため、昭和31年10月26日に建立されました。
この慰霊塔は、塔身、前室及び前垂、側柱から構成され、前垂には日本地図に113戦災都市(1都、99市、13町)の位置が、側柱には1本毎に戦災都市の被爆年月日、死没者数、罹災人口及び歴代復興担当市長名が刻んであります。
慰霊塔建立以来、毎年、竣工日であります10月26日に全国の空爆犠牲者を追悼するために『追悼平和祈念式』を執り行っており、内閣府をはじめ全国から多数の方々にご参列いただいております。」
和歌山市も死没者に敬意を払って欲しいこと。そして敬意を払うために和歌山市が式典をすべきではないだろうかという話をしてくれたようです。
奇しくも平成25年7月、汀公園の横の和歌山県敷地が和歌山市に無償貸与されました。和歌山市がこの用地を汀公園と一体とした公園にするためです。公園にするのであれば、この死没者への思いと供養する場として、そして和歌山市民として犠牲者への敬意を払うために、そして戦争を風化させないことを目的とした公園整備につなげて欲しいと思います。姫路市から来てくれた二人の方から学ぶことができました。
NPO法人青少年国際福祉教育協会が、被災地からいただいた大川小学校のひまわりの種を植え育てています。その大輪のひまわりがこの夏に咲きました。
昨日のニュース和歌山に記事として取り上げていただきました。丁度、昨日の夕方から同協会の総会があったので活動報告事項として取り上げました。今年の夏に咲かせたひまわりの種を秋に取っておき、来年はもっと多くの大輪を咲かそうということで意見が一致しました。
そして本日は雨天でしたが、植栽している場所を訪れてひまわりに会ってきました。高温と日照りが続いていたことから少し元気はなかったのですが、東北の思いを和歌山市で大きく咲かせてくれています。東北と和歌山市をつなぐ絆が大きく育っています。
大川小学校のひまわりは、私たちが育てている和歌山市の農園の他に、慶風高校と和歌山市立雑賀小学校にも植えられ育てられています。和歌山県内三箇所で被災地の思いを受け継いで、命の大切さと災害から命を守ることの大切さを感じています。
受け取ること、育てること、そして引き継ぐこと。これらの工程を通じて命の大切を感じています。何か大事なものは見守ることも必要ですが、主体的に関わることでもっと大事なことが伝わってきます。
小さなひまわりの種が大輪の花を咲かせてくれたことは、とても嬉しいことですし来年につながることです。こうしても私達の思いは来年以降も引き継がれていきます。
厳しい夏を越えて育ってくれた、大川小学校から受け継いだひまわりに感謝しています。
東北の大地にも同じひまわりが咲いていると思うと、心でつながっていることを強く感じます。
津秦自治会主催の夏祭りが開催されました。今年の夏を締め括るイベントになりました。朝からの雨で開催できるかなと思っていたのですが、雨の中、役員の皆さんが準備を進め、とても素晴らしい夏祭りにしてくれました。昨年に引き続いての開催ですが、段取りも内容も進歩していて来場した皆さんが笑顔になりました。
さてメイン会場では、ダンススタジオGLAM(グラム)からダンサーが参加してくれ、見事なダンスを披露してくれました。会場の温度は一気に上昇し夏祭りの会場はダンススタジオへと変化しました。
そしてテレビ和歌山との企画で誕生したダンスボーカルユニットのPLACE(プレイス)の4名も参加してくれました。和歌山市では男性のダンスボーカルユニットは珍しく、女性のダンスとは違う力強い雰囲気を演出してくれました。
このダンスは自治会の皆さが運営する屋台と不思議と相性が良く、会場の一体感を体験させてくれるものです。熱気を高めてくれたことから、引き続いての盆踊りには多くの方が踊りで参加しました。やはり熱気は伝播するものです。
夏の熱気を感じた津秦自治会の夏祭りですが、終盤に差し掛かると、どこか秋の気配を感じるようになりました。今夜は夏から秋へと移り行く季節を感じています。開放的で賑やかな夏から、やや寂しさを感じる秋へと季節は移ろうとしています。
津秦の夏祭りでも同じようにスタートから中盤に掛けては熱気が高まり、終盤は熱気を沈めていくような感じがありました。一瞬の夏祭りのために企画と準備に費やした時間は相当なものです。しかしその長い時間があったからこそ、この夏の輝きがあるのです。
熱気と笑顔、そしてふれあいを感じながら、今年の夏を楽しみました。