活動報告・レポート
2013年7月15日(祝・月)
歴史から学ぶ

よく歴史から学ぶことは大切だと言われます。色々な意味があると思いますが、最も簡単なことは人間の生活は変わらないので、それに対応することが歴史から学ぶことです。朝食事を食べて、昼の時間にも食べて、夜も食事を食べる。これは10年前も100年前も変わらない人間の営みです。これに応じた経済対策があるのですが、余りにも当たり前のことなので歴史家は一から記すことはしていないのです。同じように冬が寒いので何か対策をしようと思っていても、その次に春が到来することは分かっていますから慌てることはないのです。

歴史において、人が食べていくために権力者が行ったことは公共事業でした。土地造成や道路建設、ため池の造成、大阪の淀川の堤防造りなど、人が生活できるように行ったのが公共事業です。一つの仕事があり時代の変化と共にその仕事がなくなると、それに変わる仕事が誕生します。歴史の中で公共事業は実施されていたのです。

農民が公共事業に駆り出されていたと思っていますが、実は余剰人員があったことから公共事業が行われていたのです。農民は仕事がありますから公共事業は必要ありません。為政者が、仕事のない人がいたので仕事を作り出したのです。その背景には食料にも余裕があったということです。人と食べさせられるだけの食料があったことから、公共事業で仕事を作り報酬を与え、公共事業で働いた人達が食べることができたのです。

そうして仕事が増えていくと経済力が高まることから人も増え、やがて食料が不足することになります。為政者は新しい公共事業に着手することになります。それが開墾で田や用水路、などを作り出すことです。開墾は今で言うところのデベロップメントで、必要な有効な土地を作り出す手段だったのです。

食料の生産は弾力性が少ないので一気に増やすことはできません。そこで人口増加にあわせて開墾することで食糧難と公共事業による経済対策を行ったのです。

人が生きるために必要な経済対策の姿は今も全く変わっていないのです。

例えは天平時代の行基は、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所、布施屋9ヶ所等の建設を行っています。正に当時の公共事業であり、今で言うゼネコンの役割を果たしているのです。経済対策なしに人は生活できません。経済優先を肯定しない人もいますが、経済力を保つことが国民の生活を守る国家としの使命ですから、経済対策、公共事業の必要性は歴史から学ぶべきことです。

そして経済対策は時代によって姿が変わります。開墾、堤防やため池、道路建設やダム工事、エネルギー事業など大型の公共事業が経済対策の根幹となるものです。経済対策が基本にあって余力を生み出し次の政策へとつなげられるのです。経済対策をしないで福祉や教育に向けるお金を生み出すことはできません。国が借金をするにも経済力がなければ、どこからお金を引っ張ってくるのでしょうか。経済成長の見通しが立つ国家だからこそ、国債を引き受けてくれるのです。破綻する可能性のある国家、経済成長がない国家の国債を引き受けてくれる国や投資家はいません。日本は経済力が強みであり、それがあるから豊かな生活を過ごせているのです。

技術や道具も確立されていなかった時代において堤防の建設などは危険な仕事だったと推測できます。危険だからと思ってやらなければ、河川の氾濫や土地の確保、開墾などにつながらなかったのです。それで人は安心して生活ができでしょうか。インフラが整備され生活ができるための仕事がある。それが国にとっても人々にとっても必要なことなのです。経済成長は必要ない、エネルギーも要らない。歴史を大きな視点で見ると、そんなことはあり得ないことが分かります。

歴史について学んだ一部を記載しました。歴史から学ぶ経済問題を会話の中から教えてくれたO先生に感謝しています。