活動報告・レポート
2013年7月6日(土)
地鎮祭
地鎮祭
地鎮祭

津秦自治会が自治会館を建設することになりました。午前9時30分から自治会館建設に関る地鎮祭が執り行われたので出席いたしました。津秦自治会長を初めとする役員の皆さん、宮地区連合自治会役員の皆さんが出席した厳かで素晴らしい神事となりました。お招きいただいたことに深く感謝申し上げます。

津秦自治会には自治会館がなく長年の懸案となっていました。何度も協議と話し合いを行い、ようやく自治会総会で承認を得て、予算の確保に役員の皆さんが走り回り、今日の日を迎えました。地鎮祭を終えたことから着工し、平成25年10月末か11月には竣工する予定です。懸案だった大事業に着手したことは誇りであり、自治会の活動を活性化させるためにも素晴らしい事業です。

やろうと思ったことをやり遂げる意志の強さと行動力、そしてまとめあげる力は特筆ものです。津秦自治会役員の皆さんと会員の皆さんの総合力に敬意を表します。

さて神事の後、挨拶の機会をいただきました。以下に主旨を記載いたします。

津秦自治会、そして宮地区連合自治会の皆さん、誠におめでとうございます。待望の自治会館建設に向かって地鎮祭が執り行われ、本日は本当に良き日となりました。これまで自治会内での話し合い、連合自治会の支援、そして市役所との協議など、これまでのご苦労の一端を知っていますから、本当に嬉しく思いますし、凄いことだと感じています。

津秦自治会館は会員の皆さんの交流機会を創り上げることになりますし、何よりも防災拠点として大切な施設となります。自治会として必要な施設を作り上げようとしていることに敬意を表します。本当におめでとうございます。

神が降臨し、そして天に帰るまでの動きを実感することができる神事でした。この地に降り立ち、そして土地を安定の地として鎮めてくれます。この地が繁栄するように祝福してくれていることを感じました。

朝から素晴らしい神事に参加でき、素敵な一日となりました。

訪問活動

Nさんと一緒に20人の皆さんの自宅を訪問させていただきました。先に終えた6月議会の報告をするために伺ったものです。皆さん共、丁寧に応対していただきましたこと感謝しています。それにしても暑い中、自宅にあげていただき、頂戴した冷たいお茶の美味しいこと。嬉しい訪問になりました。

講演会
講演会

夕方からは講演会に参加しました。則岡住職さんから「死を迎えるために」の講話を聞かせてもらいました。

生と死は対極にあるように思っていますが、実は死の中に生が含まれているのであって、生は死から逃れられないのです。ですから、思い通りにならないことを思い通りにしようとするから苦しむのであって、思い通りにならないことは思い通りにならないから諦めると思うと落ち着くことを知らせてくれました。

諦めると言うと後ろ向きのように感じますが、そうではありません。諦めるとは明らかにすることなので、原因を突き止めることを意味しています。上手く行く原因を突き止めると自分の思うように進みます。駄目な原因を突き止めるとそれ以上何か行動をしても進展しないと分かるので、そこでそのことを諦められるのです。明らかにすることで諦めると、思い通りにならないことは思い通りにならないと思えるので、苦しむことはなくなります。誰でもやがて死を迎えることになります。思い通りにならないことに苦しんでいる時間はありません。出来ることを実行することが生きることです。

そう思うと癌に対しても向き合えると話してくれました。癌はこれまでお世話になった人にお礼を伝える時間が確保できる病気です。癌の告知を受けてから死に至るまでには時間があります。人としてすべきことはお世話になった人にお礼を伝えることです。それが約束された病気なので、気持ちをしっかりと持って向き合いたいものです。

死と向き合うことについ話を聞かせてもらいました。恐怖という概念ではなく、死の中に生が含まれているので逃げられないこと。そして死には覚悟を持って向き合うことが生きることだと思いました。

同窓会
同窓会

その後、高校時代の同窓会に出席しました。三年生の時の同窓会は、最近、毎年継続して実施しているものです。事前に幹事メンバーが集まり日時の決定企画を行い、同窓生に案内を出します。3年生の時の担任の岡崎先生は現在72歳。昭和54年当時は38歳の年齢でした。18歳の私たちとは20歳違いだったのですが、当時は随分年長に見えたものです。今では年齢が接近しているようで余り年齢が変わらなくなっているので、気軽に話し合える関係になっています。もう私達は38歳の年齢を超えているので、当時の先生の年を上回っています。38歳にして生徒を指導し、その後の関係を続けていることの凄さを今だからこそ感じます。人を育てるということは凄い仕事だと思います。

「当時のお前らはたいしたことはなかったけれど、今、役割を担っているおまえらは凄いと思う」という褒め言葉は嬉しいものでした。社会の一翼を担えているかどうか分かりませんが、毎年、成長している姿を先生に伝える機会があることは誇らしいことです。