和歌山県下の某小学校で出前授業を行いました。小学生に授業時間に教えるのは初めてのことなので楽しみにしていました。子ども達は質問に反応してくれますし、機材を使った学習にはとても興味を示してくれます。質問に対して答えが分かると挙手してくれますし、分からなければ分からない姿勢を取りますから、とても素直なのです。
大人になると分からないと思われたくないので格好をつけます。ですから分かっていても、分かっていなくても挙手することは遠慮勝ちになります。ところが子どもの反応は違います。格好をつけるのではなくて分かるか分からないかを基準としています。分からないところは聞けば良いだけですし、間違っても何の問題もありません。問題を間違っても分からなくても、何の問題もないということが教壇に立つと良く分かります。子どもが発展途上にある時の授業で、問われた質問に答えられなくても発展は続くのです。
だから今だったら自信を持って言えます。「答えられなくてもたいしたことはない。間違っても恥ずかしくない。挙手できることが素晴らしいこと」だと。
成長する過程の中の一コマなので、今日の授業は記憶にも残らないと思いますが、少しだけでも生徒の成長段階の中で接点を持てたことは貴重な経験です。この中で感じたことがあります。教師の役割はとても大変だということです。学習は基礎の繰り返しが大事なことですし、理解していなければ分かるまで教えることが必要だからです。根気と熱意、そして育てようという気持ちを持ち続けなければなりません。人を成長に向かわせることは大変なことですし、それは大切な役割です。
同じことを繰り返すこと、そして毎年同じように子どもの成長に関わることの役割は重要です。経験してみることでその立場の人の気持ちが分かります。私にとっても貴重な経験となりました。
仕事において最も大切なことがあります。信頼関係があることです。交渉や話し合いで解決が困難になる時があります。最後に交渉をまとめる力はお互いの信頼です。「お前がそう言うなら分かった」と言ってもらえる関係にあることが切り札となります。数字や結果保証は大事ですが、信頼関係はもっと大事です。
ここまではできますが、これ以上は無理です」と言えること。「あなたがそう言うのであれば仕方ない。分かりました」と言えること。これが言える関係はとても大事なのです。
信頼があれば、その先もつきあいは続きますし、その時の損得は長い時間軸で見ると帳消しにできることがあります。これ以上はどうしようもないという場合があります。そんな時頭を下げて「これで納得して下さいと」言える人も信頼と度胸がありますし、「分かりました」とその言葉を受け取る人も信頼と度胸があります。
これが人間社会で重要なことです。確かに数字や結果を見通せる資料、根拠は大事ですが、それだけでは足りません。信頼という要素が加わることで取引が成立しますし、問題は解決に向かいます。
そして両者の問題が拗れてしまった時、間に入れる人の存在は欠かせません。長引く問題を解決することは失われたかもしれない時間を得られるという利益を生み出します。仕事で多くの時間が割かれるのは、苦情やトラブルの解決に要する時間です。それを解決できる人は会社に大きな貢献をしていると思います。見えないものを誰にも知られないで解決できる力の存在は大きいのです。
そんなことを学べる事例がありました。問題に関わることは実践を通じて自らの能力も高めてくれます。
夕方からは4人で懇親会を行いました。和歌山城のこと。友ヶ島のこと。議会活動のこと。和歌山市内での文化活動のこと。そして観光政策について話し合いました。建設的な意見ばかりで、活動を通じて自らを高めようという意欲が感じられました。嬉しい意見として「活動に同行させて欲しい」という依頼がありました。直接活動を知りたいという意味と、私の活動を見て自分の言葉で伝えたいという意味からのものです。有り難いことで、感謝するばかりです。「和歌山県内でも東京でもどこでも行きます」と話してくれましたが、そんな皆さんに支えられていることに感謝しています。