午前中は地引網行事に参加しました。場所は片男波、約80名の参加者の皆さんと地引網を引いて午前の一時を楽しみました。引いた網に魚がいることを見て、子ども達は大喜びでした。人が食べるためにその魚を絞めるのですが、この作業で生命の大切を知ってくれたら嬉しいことです。魚を初め食用となる動植物は、その命を人に捧げてくれているのです。人は食べる時に「いただきます」と言ってから食事を行います。これは「命をいただいてありがとう」とう意味ですが、もうひとつの意味として「この命を私の命に変えて生き続けること」への感謝があります。
命をいただいた私達は、その命を引き継いで生きているのですから、命を捧げてくれたもののために、自分の命と生き方を大切にしなければなりません。そんな意味を込めて「いただきます」という言葉がありますし、そんな意味を知る行事でもありました。
参考までに外国語教育の専門家に聞くと、「いただきますに相当する英語はありません」ということでした。命をいただくという感謝の気持ちを表す言葉は日本独特の哲学に基づくもので英語にはないのです。あるとすれば祈りを捧げて食事をする行為があるだけだと聞きました。日本人の精神の高さを知ることができます。
そんなことを思いながら行事を楽しみました。また行事において冒頭、挨拶の機会をいただきました。来週から始まる6月議会に向けて思っていることを伝えさせてもらいました。県行政を初め私達の周囲は常に動きがあります。それを知り対応していくことで安心と安全が得られます。
高野山奉納演奏会に参加しました。これは日本とベトナム友好記念と東日本大震災慰霊と復興を祈願してのものです。演奏会は高野山壇上伽藍金堂で、ベトナム国立交響楽団主席奏者で構成されている弦楽四重奏団である「ベトナムの蓮」の皆さんによる演奏会でした。加えて日本とベトナムの国交樹立40周年を記念する意味もあり、金堂の中という舞台に相応しい見事な演奏会となりました。
高野山という特別の舞台で、しかも日本とベトナムの国交樹立40周年と友好を祈念しての演奏会が開催されることは、この演奏会が最初で最後の機会です。こんな大事な演奏会に参加できることは嬉しいことであり、招待をしていただきこの場でいられたことに感謝しています。
演奏してくれたベトナムの音楽は心地良いメロディで、心に直接伝わってくるように感じました。昔の日本にあったような懐かしい音が染み入ります。それは軽やかで楽しく、そして今を大事にしながらも確かに将来を見据えているような感覚です。聖地での演奏会ということ、ベトナムという異文化の音楽がそんな感情を作り出してくれたように思います。日常ではない場所、そして異なる文化に触れることは経験として優れたものです。どんなに尽力しても自分だけでは作り得ない演奏会ですから、この経験はこれからの人生を構成する上でも貴重なものとなりました。
人は自分だけで生きているものではない。和歌山市にだけ生きているものでもない。日本だけでもなく、世界の中で生きていることを伝えてくれました。今という世界の中でいる自分を確かめられた演奏会となりました。時間を掛けて高野山を訪れた意味がありました。意味のある行動を取れた一日になったことに感謝しています。
午後7時からが外国語教育に携わる7名の皆さんとの懇親会に参加しました。子ども達への外国語教育と進学や就職の時にこれからもっと必要となる英語力の養成と指導者のあり方について、そして若い人達が留学など、世界を見て勉強して欲しいことなどを話し合いました。平成26年度が、日本の外国語教育の起点となる年になることへの期待を込めて議論を交わしました。