社会におけるどんな問題も、賛成もあれば反対もあります。みんなの意見は正しいとすべきですし、日本人はバランス感覚がありますから問題が発生した場合、うまく意見調整と修正を行い、真ん中位のところで解決を図ろうとします。しかし大多数の数字の根拠が分からない場合や、アンケートの質問の仕方や調査方法によって実態と違うのではないだろうかと疑問を感じる世論もあります。
また会議などの場で意見を確認している時に一人の専門家が専門的な意見を言うと、その他の委員は反対意見をいえなくなる場合もあります。専門家からの難しい理論に基づいた意見の後に、専門外の人が素人っぽい意見を述べるのは簡単なことではないからです。そんな場合、専門家の意見の方向に流された結論になる場合があります。
加えて、社会におけるどんな問題であっても可能性をゼロにすることはできません。南海トラフによる大地震や中央構造線に起因する地震などは、極めて発生の可能性は低いとされていますが、それでもゼロと結論付けることは不可能です。ゼロであるという証明は中々できないからです。
大昔の活断層で、現在は活動していない地層であっても、再び活動を開始する可能性を否定することは難しいことです。このように社会における問題の可能性をゼロだと証明することは困難であり、そのことが問題の解決を長引かせる原因になり、前に向いて動こうとする推進力を弱める作用があります。
極めて高度な知見を必要とする場合は専門家が関与しなければなりませんが、調査を行い結論を出すまでには長期の時間が必要です。しかし現代社会は休むことなくずっと動いています。止まっている調査と動いている社会との間に溝ができるので、経済活動のストレスになっていきます。
しかも専門家の意見に対して、経済界の方は意見が現実化するその可能性をゼロだと言い切れないのです。何故なら大地震が発生し事故が起きた場合の責任の所在は、それを実行した経営者などの責任者だからです。事象を調査している専門家は事故などの責任を取ることはありません。調査した結果、「万が一でも発生する可能性はある」と結論付けるからです。危険性があると結論を出しているのにそれを無視した社会活動や企業活動をした場合、事故が発生した場合の企業などの社会的責任は大きく、再び立ち上がる力を奪い去ります。
社会的に極めて高度な判断は、国を任されている政治判断以外にないのです。政治家が責任を持って対処し判断する。そして責任を負うことが社会を前進させるために必要なことです。
企業や役所の判断も同じようなことが言えます。法的解釈や基準に照らし合わせた見解を確認するのは、本社の所管部署や本庁に問い合わせるなど確認することが正しいことだと思います。しかし裁量を期待する場合やローカルルールの適用、何とか話し合いによって温かみのある解決方法を望む場合は、地元の支社や支所などと協議する方が期待に沿った解決を図れる場合があります。問題が発生した場合、何でも「本社や本庁に言う」という人がいますが、それは逆効果です。法的解釈や基準に沿った運行をきっちりと行っている部署は適用を厳格にしますから、解釈を緩めることはありません。むしろ人間関係と情の入り込む余地のある地元支社や支所と協議をする方が良さそうです。
各界のリーダーの皆さんとそんな話し合いを行いました。
- 和歌山市内では朝から強い風が吹き荒れたため暴風警報が発令されました。公立学校は休校となりました。市内ではその影響があり慌しい一日となりました。
- 健康診断を受信しました。血液検査などを行いましたが、健康診断の日は自分の健康について考える一日となります。健康でいられることは人生の宝物を受け取っていることなのです。
- 太陽光発電について依頼などがありました。平成25年度は太陽光発電の買い取り単価が下がりますから、事業計画の見直しや再検討などを行っている事業者がいるので相談に応じています。
- 紀伊半島大水害で迷子となっていた被災犬がいます。最後まで飼い主や里親が見つからなくて県施設で預かっていた二匹の被災犬の里親が見つかりました。本当に有り難いことです。これで和歌山県内では被災犬を処分することはなくなりました。里親探しなどの活動している皆さん、関係者の皆さん、報道機関の皆さんに深く感謝しています。災害から逃れて懸命に生きていた動物の命を救うことができました。