活動報告・レポート
2013年2月16日(土)
陸奥宗光シンポ
陸奥宗光シンポ
陸奥宗光シンポ

陸奥宗光シンポジウムに参加しました。和歌山県が生んだ外務大臣についての講演とディスカッションがありました。

明治維新前夜の頃、紀州藩の武士の心意気は他の藩の武士と違っていました。多くの藩の武士は自分の藩のことばかり考え主張していたのですが、紀州藩は国家を思って行動していました。国全体を担っていこうという気概を持っていたのです。紀州を誇りに思い、日本を繁栄させるために行動していた紀州藩の武士は、自分達が日本のエリートだという誇りを持っていたのです。

陸奥宗光のその中の一人です。廃藩置県をやり遂げたのは薩摩や長州ではなくて紀州だったという説もあります。教科書では書かれていませんが、史実だとする研究もあるようです。事実はそうらしいという考え方もあるようですから、紀州が廃藩置県をやり遂げたと言う歴史が認められて欲しいと思います。

陸奥宗光の考えが明治維新の中でも重要なものになっていることが分かります。

もうひとつ。デモクラシー、つまり議会制度を作ったのも陸奥宗光です。不平等条約改正と関税自主権の回復が取り上げられていますが、功績はそれだけではないのです。明治維新と現在につながる議会制度の根幹もやり遂げてくれているのです。そんな紀州の偉人のシンポジウムに約550人の人が訪れたことは、和歌山県人という紀州人が郷土の偉人に誇りを持っていることを現しています。そしてその誇りは私達にも引き継がれているのです。紀州の人は日本全体の繁栄を目指しているので、小さなことは言わない気高さがあります。それは次のことからわかります。

紀州は明治2年から明治4年まで紀州洋式軍隊を保有していました。日本で初めての洋式軍隊を持っていたのです。しかし政府軍が結成されたことから政府軍に入り、紀州洋式軍隊は解散することになります。紀州の人は政府に入り、現在で言う次官や局長クラスに配置されました。大臣や副大臣クラスには薩長土肥が就任していたことから、その下に配属されたことになります。しかし紀州人は文句を言いませんでした。日本人としての誇りを持ち日本を守る役割を担えることに誇りを感じたからです。地位は求めなかったのですが、結果として歴史上では薩長土肥の影に隠れてしまったのです。

そして陸奥宗光は外務大臣となります。伊藤博文総理とのコンビは日本の政治史上最高だったと話してくれました。状況判断、情報収集力に優れ、外交を進めて行きます。最高の外務大臣だという評価が外務省でただ一人だけ、省内に銅像が立てられていることになっています。

陸奥宗光シンポ

このことは紀州の誇りです。私は県議会で、修学旅行で東京に行く機会があれば外務省に行くことを一般質問していますが、未だに実現していないと思います。郷土の誇りである陸奥宗光の功績を学び外務省の庭を視察することが、どれだけ子ども達に影響を与えることでしょうか。

「和歌山なんでも帳」という故郷を誇りに思えるような副読本があり、学校では学習していますが、外務省の現地を見る経験はもっと大事です。できることをしないことは問題なので、出来ていなければ再び取り上げたいと考えました。

最後に三国干渉の時の陸奥宗光の心境を語った言葉があります。「他に対策がなかったと思いたいと思いたい」という心境です。当時、情報を収集し状況を把握した上での判断だったのですが、それでも迷いがあり、それ以外に取るべき方法はなかったと思うことにしています。当時の苦悩を感じる言葉です。偉人であっても現役時代は迷い悩むのです。私達が迷いと悩みの中にいても何の不思議もありません。現役時代にしかできないのが迷いと悩みと責任ある決断です。状況を楽しむ心の余裕を持ちたいものです。

シャンソン

ぶらくり丁インターラーケンでシャンソンライブがあり会場に駆け付けました。陸奥宗光シンポ終了後に駆け付けたのですが、到着した時は丁度終了したところでした。残念でしたが、会場に入り出演者の皆さんと懇談しました。とても残念でしたが、ライブの状況を聞くと、大いに盛り上がったということです。7人が登場し一人二曲ずつ歌ったようです。

ライブの大成功、おめでとうございます。

頭脳交換会
頭脳交換会

ぶらくり丁にあるみんなの学校で頭脳交換会があり、参加してきました。テーマは「和歌山活性化イベントをみんなで実現させよう」というものです。5つのイベント案に対して5班に分かれて、イベントを実現する方法と取り組み方を話し合い発表しました。

私はバスケットピンポンで和歌山県を活性化させるイベント班に入り、実現させる方法について話し合いました。バスケットピンポンの発祥の地は和歌山県だそうです。和歌山県から全国に広げることが和歌山県活性化になることから、このイベント班に入りました。

小学校クラブ活動での取り組み。プロバスケットチームとの連携。マスターズクラブとの連携。国体関連イベントとの関連付けなどを考えました。

次回は3月後半に頭脳交換会が予定されています。この会合の続き議論されることになります。