活動報告・レポート
2013年2月1日(金)
東京二日目

東京での二日目です。昨日は電力総連地方議員会議においてエネルギー政策について認識を深めました。本日は国家観について話を伺いました。場所は平河天満宮近くの事務所です。

欧米諸国の民主主義とは、戦いの最終手段として形成されたものであると教えてくれました。次のような話があります。二人が喧嘩をしていました。

一人は相手の頭に銃を突きつけました。その相手はナイフを銃の持った相手の腹にピタッと当てました。お互いに身動きの取れない状態になったのです。そこからどう考え、どう動くのでしょうか。お互いが相手よりも先に動こうとすれば、相撃ちになります。どちらも命は惜しいですから仕掛けることができない状態なのです。

そこで最終手段として話し合うことになります。銃とナイフを下ろし、そこから解決のための話し合いが始まります。そこからが民主主義なのです。

命を張って崖っぷちに立った状態になってもう他に取る方法はないという極限の状態になって話し合いが始まるのです。国境を隣り合わせにしている国同士が、最初から話し合いで解決する方法はないのです。

これは人間の本能に基づくものです。人や国家はお互いを守るために争うものであり、争いあった結果、どうしても身動きが取れなくなると話し合いで解決しようとするのです。ですから民主主義における話し合いとは、お互いに引けないところから始めるものであり命懸けで交渉する必要があるのです。それが外交の基本です。最初から平和的に話し合うという考えは欧米や大陸の隣国にはありません。

またこんな事例を示してくれました。夜の日比谷公園を散歩していると財布が落ちていました。誰も見ていなければ人はどんな行動を取るのでしょうか。暗闇で誰も見てなければ、本能としては財布を拾って自分のモノにしようとします。つまり誰も監視していない状態に置かれたものは自分のモノにしようとするのです。そして暗闇なのに誰かが見ていて、もし盗ったことを見つかったら、人は言い訳をします。

「おかあさんの財布だと思って拾った」など、自分を正当化するための理屈を並べ立てます。

尖閣諸島の問題はこれと同じです。尖閣諸島の持ち主は日頃監視も見回りもしていませんでした。誰も見ていないのだから、この島が欲しいと思った中国は自分のモノにしようとしました。日比谷公園の財布と同じ話です。竹島や対馬も誰も関心を持っていないのだから、自分のモノにしようと思う国があっても不思議ではなく、人や国の行動としては自然なものです。さらに北方四島です。沖縄県には米軍基地があるので、まだ監視がありますが、北海道には米軍は駐屯していません。北方四島にロシア大統領が上陸しても日本は何の行動も起こさないという事実が存在しています。それを見た隣国は南の島でも同じことだと思い行動を起こすことは、大陸の考えからすると自然なのです。

如何でしょうか。日本人の考えの甘さ、民主主義の基本がなっていないことが分かります。そして尖閣諸島の問題は日米安保の対象だから大丈夫だと思っている人がいますが、それは大きな間違いです。尖閣諸島が今のような状態で侵略されてもアメリカは守ってくれません。日米安保の条件は武力行使によって領土を侵された場合に限定されます。平和的に領土を盗られたとしたら、アメリカは守ってくれないのです。知らない間に侵略されていたとしたら、日米安保の適用外となります。

誰も見ていない日比谷公園のような状態にしておくのではなくて、自分の領土だとするなら監視しておく必要があります。

イソップ物語やグリム童話はそのことを教えてくれています。自分のものなら守っておかなければ盗られてしまうことを伝えてくれているのです。本質を知らないで童話を読んでも作者、欧米人の考え方は理解できないのです。

政治とは気を向けるものを創り出すことにあります。国政でも県政でも市政でも同じです。中国はそれを実行しているのです。13億人の人をまとめることは難しいことです。人民を放置しておいたら、不満や欲求の標的が中国政権に向いてきます。そのため気を向けるものを創っています。それが日本なのです。日本が尖閣諸島を侵略している。南京大虐殺の償いをしていないのは怪しからんといって日本を政治的標的に仕向けているのです。

気を向ける対象を創り出して、関心をそちらに向かわせることは為政者の戦略です。中国はその戦略を使っているに過ぎないのです。わが国も自国防衛のために戦略を講じる必要があるのです。

日本は米国や中国に次ぐ大国です。大国であれば大国意識を持って国際社会に向かう必要があります。大国が取っている戦略と同じような戦略を講じるべきです。日本は小国ではありません。大国と対等以上に立ち向かう気概を持って、外交においては机の上では手を握っても、机の下では戦う姿勢を持つ民主主義を貫きたいものです。戦いと民主主義は方向性が逆のものではなくて、同じ方向を向いているものです。