活動報告・レポート
2013年1月24日(木)
お別れ
お別れ

和歌山ゴールドライオンズクラブの貴志八郎さんの告別式に参列しました。元衆議院議員であり長く和歌山県の政界をリードしてきた方だけに残念な気持ちでいっぱいです。

また同じライオンズクラブの一員として結成時から活動を共にしてきた仲間でもあり、寂しい気持ちでいっぱいです。和歌山ゴールドライオンズクラブ二代目会長であり、創設時期のクラブを引っ張ってくれました。結成2年目当時はライオンズクラブ会長職の重責を知りませんでしたが、自分が会長に就任してその大変さが分かります。縦の組織でないためクラブ内での権限はなく、人格とコミュニケーション力で会員の皆さんを引っ張る以外に組織運営の方法はないからです。

そして結成10年目を迎えている今日、結成10周年記念行事実行委員会委員長を務めてくれていました。現職のままこの世から旅立ったことになります。私達クラブ会員も衝撃を受け、こんな事態になることは予想していませんでした。4月13日の結成10周年記念式典が近づいていることから、その部会開催や準備に着手した矢先ですから、失ったものは計り知れないものがあります。

会員の誰からも慕われて、困った時には相談に応じてくれる人生の先輩でした。平成24年11月30日の結成10周年記念行事として実施した当時福岡ソフトバンクホークスの小久保選手による講演会と少年野球教室のことを思い出します。企画段階で貴志委員長は「結成10周年ですから単にモノやお金を贈るよりも、何かを行ってライオンズクラブの社会的価値を高めたい。そして私達も達成感を味わえるような行事を企画したい」という思いを聞かせてもらいました。そこから当時現役のプロ野球選手であった小久保選手の講演と野球教室を考えたのです。

早速、同じライオンズクラブ会員である小久保さんにお願いして、ご子息である小久保裕紀選手の了解をいただき、約半年の期間をかけて企画と準備を行いました。途中、予算や役割分担などで激しい議論や見解の相違がありましたが、委員長がリーダーシップを発揮してくれたお陰で本番までの一ヶ月前になって信頼関係と結束が固まり、当日を迎えたことを思い出します。

当日、大勢のお客さんが会場に来てくれたことで成功の確信を得ました。結果として遣り甲斐と達成感のある素晴らしい行事に仕上がりました。そして単独クラブだけではなくて他のクラブからの支援や参加もあり、各クラブの交流機会にまで広がったことも嬉しいことでした。

小久保選手の講演会の前に貴志委員長が挨拶をしてくれました。予定していた挨拶時間を軽くオーバーして約20分の挨拶だったと記憶しています。20分の中に、社会に貢献するライオンズ魂と和歌山ゴールドライオンズクラブが迎えた10年の歴史とその活動に触れて話してくれたのです。正に渾身の挨拶でした。

その時、既に抗がん治療を受けていたため体調は良くありませんでしたが、責任を果たしてくれました。その時、顔は少し熱っぽくて赤味を帯びていたこと。そして挨拶終了後、会場の椅子に座っていることが辛くなり、医務室に引き下がり、それでも気分が優れなかったことから自宅に戻ったのです。

責任をたすため命懸けで、わがライオンズクラブを知らしめるための挨拶をしてくれたのです。その時、近くで聞いている私は「まるで国会での質疑のようだ」と感じました。気迫と訴える力、それを感じたのです。

そして平成25年1月9日、和歌山ゴールドライオンズクラブの新年の初例会に出席してくれました。それがお会いした最後の機会となりました。残念です。

別れの寂しさよりも出会えたことに感謝する。それが故人にも私たちにとっても必要な気持ちですが、感謝しながらも寂しさに包まれています。今は感謝の言葉を伝えるだけです。本当にありがとうございました。

懇親会

今は退職している元上司の方との懇親会です。当時の懐かしい話や隠されたエピソードなどを聞かせてもらいました。仕事の表面には現れない難しい問題を、その時々の責任者が解決してきた歴史を知ることができました。全てが標準通りに、定型的に、またはきれいに解決させることはできませんから、その時の価値観に基づいて解決を図っているのです。

それらの仕事の中に、今に通用する宝物が詰まっています。何事にも関心を持ち挑戦することが、結果として仕事にも活かされるのです。興味や関心、経験は宝物であり、それらの先人達の宝物を受け取り活かしていくことも私達の役割です。

参考までに元上司は退職後も経営コンサル系の仕事を続けていて現役の感覚を持ち合わせています。

その他

太陽光発電に関しての協議の中で、設備の維持管理に関しての法律と実務に関して確認を行いました。