活動報告・レポート
2012年12月30日(日)
病院にて

本日、予定していた件は全てキャンセルさせてもらい申し訳なく思っています。昨日、救急車で日赤に運ばれた父親の様子を見に行くからです。集中治療室に年内入ることになりましたが、幸いなことに今日は元気を取り戻していました。昨日は高熱からくる身体の震えのため自分で動けないほどでしたが、体温は下がり一安心といったところです。

ただ前回の治療で体力が弱っているので、この先が心配になります。手足が細くなっているので筋力の現状維持が困難なように思います。高齢でもありトレーニングはできませんし、これからは病気もそうですが年齢という時間との競争になります。

人の思いを無視して時間は経過していきます。時間の流れはこれから成長していく人にとっては豊富な栄養剤の含まれた養分になりますが、高齢に向かう人にとっては体力や氣力を奪っていく役割を果たすものになります。

ベッドで横になっている姿を見ると「随分、年をとったなぁ」と思います。溌剌としていた時期は遠く去り、病気と年齢との戦いの中に投げ込まれて不安の渦の中にいるように思います。

人は高齢時代とどう向き合うのか。そんな当たり前のテーマに向かい合うことになります。いつかは自分もそんな高齢時代に立ち入ることになるのですが、歩くこと、食べること、本を読むこと、そして話をするという行為が簡単なものではないことに気付かされます。実は毎日行っている行為、日常生活は奇跡のような日々だったのです。自分で起きて歯を磨き、顔を洗う。服を着替えて出掛けるという行為があることは、幸せなことだったのです。

毎日当たり前のように同じことを繰り返せることが、奇跡の日々を過ごしていることだったのです。

毎年春になると花は咲きますが人は同じではない。そんな言葉が聞こえてきそうです。自然界の営みはこれからも永く続くものです。しかし人がこの世で存在できる期間は100年足らずであり、健康を意識しないで生活できる期間はもっと限られたものです。厳しい冬の寒さを耐え抜いて桜の花は毎年、見事に咲き誇ります。毎年見る光景に感動は薄れていきますが、人として、意識をして桜の花を見られるのはその半分位の期間だと思います。

自然界のこれらの恵みは、人が時間という流れを恐れないように配慮してくれているようにも思います。きれいなもの、美しいものに囲まれて人は安心して安全に生活を送れているのです。自然界のものだけではなくて、そこには人の心という美しいものも当然含まれます。高齢時代を生きるためには人の心の美しさが必要です。人が心から接してくれる、そんな心の美しさに囲まれて生きることが幸せな人生の最終章を飾ります。

しかし美しいものに囲まれて生きるためにはひとつだけ条件があります。それは自分の心を美しいものに保つことです。美しいものの傍には美しいものが咲きます。自分の心を磨き美しいものにすることで、そんな心の持ち主が傍にいてくれるのです。

病院にて

12月30日という年末の日に集中治療室に入りました。自然のうちに人生とは何かを頭の中を巡りました。全てではありませんが、人は病院で生まれ病院でこの世を去ります。病院で人に囲まれ祝福されて生を授かります。やがて自立して自分ひとりで生きているような気になります。しかしそれは幻想であることに早晩気付きます。

そして再び病院に戻り、温かい人の心に触れて新しい旅立ちの準備を迎えるのです。結局、人の活動範囲は自分を中心にした限られたものに過ぎないのです。ですから私達の役割は限られた範囲だけでも自分の心で美しく、きれいに仕上げていくことなのです。世界の全てを自分でコントロールすることはできません。しかし自分の存在する限られた範囲だけなら何とかなりそうです。そこを美しいものにすることが私達の人生の中ですべきことなのです。