片桐 |
佐野さんは3歳の頃から音楽を始めています。父親が音楽をやっていたことから家庭環境も影響したのですか。
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佐野 |
それは余り関係ないですね。何となく3歳からヤマハ音楽教室に通いました。小学校2年生になってピアノを習い始めました。きっかけは鍵盤を叩く力が強かったので、先生からピアノを薦められました。習い始めるとピアノにはまってしまったのです。
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片桐 |
それからずっと音楽をやって来たのですか。
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佐野さんライブ |
佐野 |
それが勉強も好きだったので両方していました。高校入学後2年間は勉強が楽しかったのでピアノから離れていました。高校2年生の時、両親が飲食店を開業してそこにピアノを置いてくれたので少し演奏活動を再開しました。それと同時期、知り合いの方から誘われて「おいやんバンド(和歌山の方言でおじさんのことを「おいやん)と言います)」にサブボーカルとして参加しました。誘われたのはピアノが弾けたからだと思います。おじさんのバンドで年齢が高く、演奏曲は甲斐バンドやベンチャーズなど知らない曲が多かったので大変でした。
知らない曲ばかりだったので、擦り切れて音が悪くなったカセットテープを借りて聴いてから演奏をしていたのですが、音楽の楽しさに気づかせてくれました。音楽は人の気持ちを楽しくさせてくれるのだなと思いました。
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片桐 |
それから音楽活動に入ったのですね。2年間のブランクを克服するのも大変だったでしょうが、高校時代に音楽と再び出会ったことで人生の進むべき方向が決まったようですね。若くして夢を見つけられる人は幸せです、多くの人は歩むべき方向が分からないのが現実です。私も10歳代の頃は何になりたいか明確なものはありませんでした。ついでに言うと今でも怪しいのですが。でも高校時代に自分の進むべき道を決断するのは勇気が要りますよね。
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佐野 |
そうですね。周囲の人は進学しますから思い切ることが必要でした。私の場合、1歳年上の姉の影響が大きかったのです。姉も私も勉強が好きでしたから、姉も当然大学に進学すると思っていたのです。ところが姉が高校3年になったばかりの5月、突然中退すると言い出したのです。理由は京都行って舞妓になるからと言うものでした。姉も決断するのに一週間部屋に入ったまま家族の前にも出てきませんでした。それ程の硬い決意を間近で見たのです。
勉強好きな姉の決意は衝撃でした。家族の元を離れて京都に行ってしまい、家からいなくなったのは不思議な感覚でした。私も考えることがあり、しばらくおばあさんの家から高校へ通い出しました。
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片桐 |
身近なところで決断の瞬間に出会うのは確かに衝撃ですよね。大きな決断は勇気が要りますから誰でも出来るものではありません。安心できる環境から自立するのは相当な決意です。人生を自分で決める、姉のその決意が佐野さんの人生をも変えることになった訳ですね。優れた師の存在は大きなものです。師と呼べる人に出会うか出会わないかで人生は変わります。
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佐野 |
姉の決断があって考えは変わりました。丁度、おばあさんの家から家に帰った時、両親が飲食店を始めたのです。そこで毎週歌い始めました。
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片桐 |
そこから歌で勝負しようと思ったのですね。
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佐野 |
人前で歌い始め自分の歌を聴いてくれる人がいることに幸せを感じました。自分の歌で相手に幸せを与えられる、或いは幸せな時間を持ってくれるのは幸せなことです。好きなことをして相手も幸せになれる歌が好きになりました。
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片桐 |
プロを目指してトレーニングを開始した訳ですね。どんなトレーニングをしているのですか。
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佐野 |
高音は出たのですが低音が出なかったのでボイストレーニングを行い、低音を含めて4オクターブが出せるようになりました。低い声にあこがれていましたから。
今でもボイストレーニングとピアノのレッスンを受けています。2004年1月にはニューヨークでボイストレーニングを受けてきました。ライブハウスにも3箇所廻りました。
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片桐 |
才能の集まり、ニューヨークは刺激になりますよね。東京、ニューヨークと舞台を大きくして欲しいですね。ニューヨークに知り合いがいるの。
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佐野 |
ボイストレーナーの友人がいますので、今年夏にもニューヨークに行く予定です。今年は実力をつけて東京でも勝負したいです。この1月は音楽関係者と一緒に東京各所を廻るつもりです。
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片桐 |
和歌山市に居て欲しいような、全国でデビューも果たして欲しいような感じですね。
自分で作詞作曲をしているようですが、何曲持ち歌がありますか。やはり経験を基にして曲を書くのですか。
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佐野 |
拠点は和歌山市です。和歌山市の自然や人が好きですから。その中において東京で音楽活動を行えたら良いです。自分で作詞作曲したのは20曲位です。作詞しているのはもっとありますが。経験を基にした曲とそうでないものもありますが、作詞は自分を全て曝け出すので恥ずかしいです。自分が知られてしまうような感じがあります。
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片桐 |
文章でも性格とか人格とかが分かってしまうので、意味を込めて作詞すれば自分の分身のような気になりますよね。私も文章を公開していますが、文章によって人格すら評価されそうで確かに怖い部分があります。でも自分を出さないことには評価すらされませんから、発表する機会があるだけでも良しとしましょう。経験を積むともっと詩の持つ意味が深くなりそうですね。
ライブで聴いたのは、佐野さんが始めて作詞作曲した曲の「月もいない夜」、軽井沢ラブソングアワードで優秀賞を受賞した曲「紅色」、2004年全国マルチメディア祭「It’s a
beautiful
day」のテーマ曲で、世界文化遺産となった熊野をイメージして作られた「祈り」の3曲です。リズムカルで力強い声とピアノも歌詞も聴く人に訴える力を持っています。
中でも「紅色」は歌詞も旋律も良いですね。
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佐野 |
あの曲は、2004年に軽井沢ラブソングアワードで優秀賞を受賞した思い出の曲です。私の曲でも評価してくれるんだ、と自信になりました。軽井沢の音楽祭で知りあった東京の娘が「紅色」を気に入ってくれてライブ活動で歌わせて欲しいと連絡がありました。大切に歌ってくれるのだったら良いからと言いました。その彼女がライブ活動の中で、気に入った曲のアンケートを取ったところ「紅色」が一番になったのですよ。誰が歌っても曲そのものに対しての評価があったことは嬉しいですね。
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片桐 |
可能性を信じて挑戦する姿勢に接すると応援したくなります。無限の可能性の中から行く道をひとつに絞れた幸せについて聞かせて下さい。
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佐野 |
無限の可能性を縮めてしまって良いのか、と思ってしまいます。自分で自分の可能性を縛っているような不安もあります。
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片桐 |
でも無限の可能性を持ったまま人生を終えてしまう人も多いのですよ。ひとつに絞ることは可能性を縮めているのではなく、ひとつに絞り込んだ中に無限の可能性が潜んでいることであって大きく拡がる可能性すらあります。
それに挑戦することが出来る、しかも若くしてだから自信を持って下さい。何も見つけられないでいる人生に比べたら素晴らしいことです。
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佐野 |
そうですね、歌で頑張らないとね。厳しい祇園の中で家族と離れて一人で頑張っている姉からは甘すぎると、早く家から出なさいとも言われています。今年は飛躍の年にしたいです。
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片桐 |
でも未だ同級生は学生をしている人が多くて、甘い生活をしている筈ですよ。社会のスタートにも立っていないのですから、焦る必要はないと思います。焦らず急いで、という気持ちを持てば良いのではないですか。
才能を大切に育てるのは私達先輩の役割です。音楽文化が比較的乏しい和歌山市から若い才能を全国に送り出すのは嬉しいことです。才能を潰すような地域は駄目です。地域で生まれ育んだ才能を開花させるために支援することが大切です。
歌詞も素敵ですし、ピアノの演奏スタイルはジャズのようですね。佐野さん独自のカラーを活かして飛躍して下さい。応援しています。
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佐野 |
誰でもない自分のスタイルを持ちたいですね。今年は東京に拠点を設けてのライブ活動やCDも出したいですね。私の歌で多くの人が幸せをかんじてくれるように、そしてメジャーになれるように頑張ります。
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