839. 30年後の元高校生

2010年夏。高校一年生の仲間と懇親会を行いました。お盆でしたので、帰省した友人も参加してくれました。「久しぶり」の声から始まった会ですが、「久しぶり」までに要した時間は30年ですから、その域を超えています。
 私は本日集まった皆さん全員と顔を合わせましたが、30年振りに再会する同級生がいます。つまり卒業してから初めての顔合わせだったということです。感動の時間は日を越えて続きました。もう若くはない仲間が若い話をしました。いつまでも若いと思えることを共有できたことは素晴らしい出来事です。

 ここで盛り上がったのは、高校三年間のクラス集合写真を持ってきてくれた人がいたからです。高校一年生の春は15歳、三年生の春は17歳。その頃の姿が写真の中に存在していました。これこそ久しぶりに再会する自分と同級生達でした。余り変わらないと思っていた私ですが、実に顔が変わっています。それにしても若い、そしてまだ到来していない将来を眺めているような目をしていました。間違いなく、この時は30年後の自分のことは想像もしていなかったでしょうし、やがてこの春から30年も経過することも信じられないことだったのです。

 集合写真を撮影する時期は素晴らしいと思わざるを得ません。希望の春に写しているからです。それぞれの顔からは、まだ馴染みのないクラスメートに対する期待と不安が感じられます。それも春ですから期待が不安を上回っているのです。人生においては期待も不安もありますが、期待が不安を上回っていると大丈夫です。人生の出来事を乗り越えられます。春という季節は希望に溢れた生徒達を送り出そうとしていました。

 送り出された私たちは、漂流しながらも30年先の未来を行きています。未来は確かに存在していたのです。これから先も自分の意志に基づく未来が存在していることが確認できました。

 それにしても当時の同級生の感覚から得るものがありました。Sくんが話してくれたのは、「片桐って信頼できる奴って思った出来事があったよ。仲間と旅行に行った時に、旅先の大人と喧嘩をしたことがあった。その夜、俺が愚痴を話していたけれど、みんな途中で寝てしまった。けれど片桐君は最後で付き合ってくれていたよな。多分忘れていると思うけれど、俺は覚えています。もしかしたら、将来は大きな存在になるかもしれないと、あの時に思ったね」というものでした。その出来事は忘れていましたが、人の話を納得するまで聞く姿勢を持っていた18歳の自分がいたことに驚きです。それが原点かも知れないと感じました。

 O君は「この卒業生の中から、プロ野球選手か相撲取り、政治家が出て欲しいと、当時話していたし思っていました。政治家が誕生していることに関して、夢が実現していることを嬉しく思っています。まだまだ先に行って欲しいと思っているよ。」という意見でした。

 夢が叶えられているのでしょうか。この年齢であっても夢の途中でいられることに感謝しています。

 そしてIさんは「片桐君は背が高くて何かに向かっているようだったから、女の子に関心がないように思っていました。女の子からは近寄り難い感じがありましたよ。今では話し易いけれどもね」という当時の感想でした。

 いずれも、それらの感じ方が原点だと思います。原点を利点と考えて、これからも先に進みます。


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