高齢者施設「セラヴィ神前」において、Fプロジェクトによるジャズコンサートが開催されました。メンバーはピアノ、ベース、バイオリン、そしてドラムの構成で、本格的なジャズ演奏を楽しむことができました。会場は満員で、皆さんがFプロジェクトのコンサートを楽しみにしている様子が伺えます。
それぞれの時代を生き抜いた高齢者の皆さんと一緒に演奏を聴いていると、「生きる」ことについて頭の中が回転しました。
行き着いた結論は、生きることは「それだけで素晴らしい」ということです。生きているから音楽を聴けますし、食べることができます。きれいな光景を見ることができますし、自由に移動することかできます。これが素晴らしい人生と呼ばないで、他に素晴らしいものがあるのでしょうか。
Fプロジェクトの岡本さんは時々、「大好きな音楽、大好きな仲間」と言いますが、大好きなものに囲まれていることが生きていることなのです。生きているイコール素晴らしいと考えると、途中を省略しても意味が通じます。大好きな音楽に関われていることは素晴らしい。大好きな仲間と一緒にいることは素晴らしいことだと言えます。大好きなことに向かい合える日は生きている日なのです。
どこかで読んだアメリカの話です。
ニューヨークのお金持ちがバカンスのためフロリダを訪れました。釣りとマリンレジャー、おいしい食事と満たされた時間。そんな体験を提供してくれたフロリダの世話人に、NYから来たお金持ちが言いました。「明日ニューヨークに帰るけれども、素晴らしい体験をさせてもらったことに礼をいいます。ついては、君にお世話になったので、ニューヨークにある私の会社で働かないか」と呼び掛けました。
それに対して「ニューヨークで働くと何か良いことはあるのですか」と聞きました。
お金持ちは、「ニューヨークで働くとお金が儲けられるぞ。フロリダでいるよりもお金が入ってくるので好きなことができるぞ」と答えました。
「お金持ちになれるのですか」。
「その通りお金持ちになれるし、お金持ちになったら何でもできるぞ」。
「私にはお金がないので分かりません。お金持ちになったら何ができるのですか」と聞き返しました。
ニューヨーカーは、「お金持ちになると、毎日釣りができるし、太陽の輝く海辺でゆったりと過ごすことができる。そして毎日おいしい食事をとることもできる。何よりも朝から晩まで働かなくても生活ができるぞ」と言いました。
それを聞いたフロリダの人は「そんな生活だったら、私は毎日この場所で体験していますよ。ニューヨークに行く必要はないですね」と答えました。
寓話だと思いますが、幸せは他人の敷地内にあるのではなくて、自分の庭にあることが分かります。自分の生活の中に幸せの時間が隠されているのです。
そうだとすると、特別なことを追い求めるのではなくて、自分の生活を大切に、そして全力で生きることです。自分の生活の中に何も見出さないで、遠い世界のことを思い描いても何も生まれません。自分の生活の中に今の自分が生きている意味があります。そこから発展させたいことがあれば、そこを原点として夢を描きたいものです。夢は今の生活をしている陸地を挟んだ海の向こうにあるとしたら、橋を架けるか船を漕ぎ出す必要があります。陸地とは、今生活している場所、海は現在の自分のいるところから目標の場所に続くところです。従って、今の生活とかけ離れた場所には辿り着くことは困難なのです。
もし今現在サッカーをしていたら、サッカーのワールドカップに出場することを目標にしたら辿り着く可能性はあります。しかしサッカーをしたことのない人がサッカーのワールドカップを目指したいと思っても、絶対に適うことはありません。
今の生活の中で達成できないことがあり、それとは違う何かを目標にしたとしても、辿り着くのは容易ではありません。今の自分にできること、そこから発展させる何かを目標にしたいものです。その先には幸せがあります。それは、もしかしたら今の生活なのかも知れません。
コンサートのエンディングは情熱大陸でしたが、この曲を聴くといつも生きていることを実感させてくれます。