「ジョンレノンは予行練習のないビートルズを生きていた」。このような主旨の話を聞きました。ジョンレノンは、ビートルズという人生の本番を生きていたのです。ビートルズ解散後のファンにとっては、何となく完成したビートルズに乗っかっていたような気がしますが、実は成功する保障のないビートルズを生き抜いたのです。
ビートルズだから、プロ野球のONだったら、と評価の固まっているものと比較して、何も持っていない自分を小さく思います。ところが私達はまだ発展途上の存在ですから、これから人生とこれから生きる社会を創り上げてく段階なのです。物語は完成していませんから、安全と安定の保障はないのです。決して評価の固まっている存在と同じではないのです。
ですから予行練習のない不安定とも言える本番を生きていくためには、達成したい目標に向かって駆け抜けなければなりません。人は不動産ではありませんから、黙って立っていることが安定ではありません。変化する社会で安定することは、波を乗り越えていく船のように前に向かって走る必要があるのです。時には碇を下ろして停泊することもありますが、生きている間は走ることです。
ところが不安定な人生ですが「今よりもっと」と考えると、今が安定しているように思ってしまいます。生きて年齢を重ねると、少しずつですが高い所まで昇っていることに気付きます。20歳代がビルの2階だとすると、30歳代になるとビルの3階にまで昇って(内心ですから「昇る」の漢字を使用しています)います。40歳代になるとビルの4階に昇った感じがあります。4階の窓から下を見るとやや怖い感じがあります。
このまま慣れたビルの階段を昇り続ける方が、4階から飛び出して新しいビルに昇るよりも安心感があります。高いところから下を見ると不安感があるのは当然のことですから、下を見てしまうと恐怖に支配されてしまい次の行動に移せなくなります。
何かを始める時には、心の中で期待と恐怖の戦いが起こります。期待は新しいビルを眺めるようなもので、恐怖はビルの下を眺めるようなものです。そして予行練習はありませんから、このまま同じビルを昇り続けると、新しいビルに移るという選択肢は消え去ります。また新しいビルを目指すことを決めると、このまま同じビルを昇り続ける選択肢は消え去ります。つまり誰もが一度限りの本番を生きているのです。
本番という人生の舞台の途中で演劇内容を変えることは容易ではありません。十分な練習をする時間がないからです。あれこれ考えている間に時間は過ぎ去り、タイミングという時をつかむことは出来なくなります。タイミングは偶然訪れるものではなくて、人生の本番を生きて、次の舞台の準備を整えている人の下にやってきます。
ジョンレノンがビートルズという形が整ってから参加しようと思っていたら、どれだけ才能があったとしてもビートルズの一員にはなれていなかったと思います。世界から評価されるかどうか分からなかったビートルズを結成したから、ビートルズという人生を生きられたのです。
つまり形の整ったものに乗っかるだけでは、世界の評価に耐えられるような自分の人生を生きられないということです。自分の意思で現実の形を創っていくことを成し遂げようとする人だけが、予行練習のない人生を有意義なものにできるのです。