いただいた月刊誌の中に元日本航空の国際線客室乗務員の黒木安馬さんのインタビュー記事が掲載されていて、素晴らしい言葉の数々がありました。独り占めにしては勿体無いので紹介させていただきます。
「人生における成功とは他人との比較によって決まるものではないということですね。自分のライバルが不幸のどん底に陥れば、それに反比例して自分が幸せになるかといえば、そんなことはないでしょう」
その通りです。一人のライバルが自分の前から消えたとしても、社会における自分の順位に変動はありません。資格試験がそれを端的に表してくれます。仮にです、資格試験予備校の同じ教室で学んでいる人が病気で今年の資格試験の受験ができなくなりました。自分の順位が上がるかというと、そんなことはありません。自分が勝手に「この人がいなければ私が浮かび上がるのにと」思っているだけで、ライバルが消えたからといって何も自分のポジションは変わらないのです。
タイガー・ウッズの素晴らしい態度について読んだことがあります。あるトーメントのプレイオフ。プレイオフを争っているライバルがパターに向かいます。もしパーを外せばタイガーの優勝が決まる瞬間です。その時にタイガーは、ライバルがパーパットを沈めて次のホールに向かうことを期待していたというのです。凡人の私たちであれば、相手がパーパットを外すことを期待する筈です。外してくれると栄冠は自分に輝くからです。
タイガーがパーパットを沈めることを願ったのは「もしこの先も自分と戦いたかったら、この程度の距離のパターを外すようでは駄目。入れて向かってきて欲しい」という心理だったそうです。そして何よりも緊張するプレイオフを、存分に楽しみたいという気持ちが強かったからでしょう。短時間で勝負を終えることよりもプレイオフを楽しめる余裕が伺えます。ライバルは強い存在でいて欲しいと思う気持ち、そして勝負を楽しめる精神力、これが世界標準なのです。世界ではライバルの一人が欠けたくらいで自分の地位が安泰であることはないのです。次々に挑戦者が現れるのですから、優れたライバルとの勝負を楽しみ、打ち勝って行くくらいの精神力を持ち合わせる必要があるのです。ですからライバルの失敗や不幸を喜ぶことは決してしないのです。
自分のポジションを変えられるのは、ライバルの不幸ではなくて自分が努力して社会で認められるようになること以外にありません。資格を取得することや論文を発表することなど、自分の努力で階段を登る以外に方法はありません。
ですから他人の不幸を喜ぶことには何の意味もありませんし、長い人生というものさしで考えると、他人の幸福を歓迎することによって、自分の下に幸福が舞い込んでくるものです。むしろライバルの幸福が自分の幸福と比例すると考える方が、法則だと思います。一人が消えてもまた違うライバルが現れます。ですからライバルを歓迎する気持ちを持ちたいものです。
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