平成19年秋に癌との闘病の末、お亡くなりになったYさん。確かYさんが亡くなる4日前だったと記憶していますが、Yさんから「最後の頼みがある」と聞いていた案件がありました。平成20年春にやっと仕上がり完結しました。それから暫く経った春のある日、そのことについてYさんの奥さんからお礼の言葉を伺いました。
早いもので気がつくとYさんがお亡くなりになってから半年余りが経過しています。その時がやってきたのは秋でした。冬の季節が過ぎ、季節は春から夏に移り変わろうとしています。季節は何事もなかったように私達にその訪れを告げてくれます。人の喜怒哀楽は季節の中で舞い上がり、全て記憶の中に封じ込めてくれます。ある時、季節の風が不意に過去を思い出させてくれるようになります。
三つ目の季節がYさんの奥さんの言葉を運んでくれました。Yさんから依頼を受けたことを、私から奥さんに伝えていませんでした。しかし当時のYさんと私の間の話を、Yさんの奥さんが聞いてくれていた様なのです。
そして約束から半年後、約束通りの結果が出たことをYさんの奥さんが仏前に「あなたの気にしていたことが実現しましたよ」報告した時、私との会話を思い出してくれた様なのです。「主人との約束を忘れないでいてくれて、それを実現させてくれたことに感謝しています。覚えていてくれてありがとう」の言葉をいただきました。
Yさんの奥さんがこの最後の約束の結果を知ったのは、Yさん仏前に、○○さんが結果の報告とお礼に来てくれたからなのです。
Yさんは自分のことよりも他人のことに気を使う人でした。癌で自分の身体が大事な時だったのに、まさか最後の約束が「○○さんのことを頼む」だとは、思いもしないことでした。尤も、その依頼が最後に交わした言葉と約束になるとは思いもしなかったのですが・・。Yさんの奥さんも「最後まで人のことを心配していたのは主人らしいと思います。でもそれが最後になるとは思いませんでした」と話してくれました。Yさんとの記憶が蘇ります。
これが約束の大切さを知らされた出来事です。約束はそのうち叶えるものではなくて、可能な限り最短で結果を出さなくてはならないのです。結果を得られたとしても、得られなかったとしても、何らかの結論を導いて知らせるべきなのです。
それにしても人の行為は巡ります。○○さん→Yさん→片桐→働き掛けた行為から方向が導かれ結果を得られました。その行為の果実を○○さんが受け取りました。その後の流れは、○○さん→Yさんの奥さん→片桐、と戻って来ます。Yさんがいなくても、行為から結果が導かれ再び結果に対する言葉になって戻ってくるのです。
蒔いた種は生えるように、何かの行為の結果の果実を受けた人から感謝の気持ちは確実に戻って来ます。
半年前に交わした約束。約束を交わした相手はいなくなっていますが、Yさんとの約束を果たせて良かったと今、静かに感じています。
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