442.立ち上がる
 古代、和歌浦を訪れた人はこの海岸を訪れることで癒され、海から力をいただき蘇ったようです。見る風景がこの地にあったのです。それが江戸時代になると、人工的な建造物も立ち並ぶ、見られる光景となり、景勝地と生活の場としての風景が出現しました。見る風景から見られる風景へと変化していったのです。

 昭和になると、従来の和歌浦から山にトンネルが抜かれた新和歌浦に旅館が立ち並び、観光の地として注目を集めました。松島や天橋立巌島と並ぶ、日本でも有数の名勝として観光の拠点となりました。見に行く風景がここに出現したのです。
 そして現代、新和歌浦の旅館は廃墟となったところがあり、しかし新しいマンションも建設されるなど、観光地としての役割は新旧交代の時期を迎えています。このまま廃れるのか、新しい観光地として生まれ変わるのか正念場なのです。

 見に行く風景から体験する場所へと変化を遂げる時期に差し掛かっています。同じ和歌浦であっても時代と共に変化を伴っています。景観を保つことは大切なことですが、それに加えて、その時代の人々が欲するものを提供する地域であることで、皆さんが訪れてくれる場所となり得ます。

 困難であったとしても和歌浦再生に立ち向かう姿勢を主催者は持っています。
 松本会長からは「困難に直面し泣いていると、最初は気の毒に思って誰かが助けてくれます。しかし何時までも泣いてばかりであれば、その誰かは、次第に励ますことを止めてしまいます。 困難に遭遇して倒されて泣いたとしても立ち上がり、そしてまた倒れても立ち上がる姿勢を見せることで、周囲の誰かを感動させます。何度でも諦めないで立ち上がることで、展望は開かれてきます」。との話もありました。

 確かに、何度倒れても何度でも立ち上がる姿は素敵です。それは誰でも行なえるものではないからです。人は倒され続けると立ち上がる気力が萎えてきます。一度や二度なら平気ですが、困難が何度も、そして次々と襲ってくると、寝ていた方が楽だからです。目標を諦めることは一番楽な方法です。物事を諦めると、傷つかないままでいられること。もう起きなくても良いこと。立ち上がらなければ困難に直面することはないからです。

 人は楽な道を指向すれば、それ以降、分かれ道に差し掛かるとその道を選択することになります。
 楽な道を選択することは決して悪いことではありませんし、その方向で楽しめる場合もあります。しかし困難を克服して壁を乗り越えると、今までと違った風景に出会うことがあります。これは楽な道を選択し続けても決して見ることが出来ない光景です。

 自らの経験上、見たことのない風景や出会ったことのない人、そして味わったことのない経験が待っています。嵐の中を突き抜けた飛行機から、突然、青い空が見えるのと同じような瞬間です。青い空を見た人は、再びうつむいて、地面だけを見るようなことはしません。

 青い空の向こうに何があるのかは分かりませんが、希望があるのは確実です。何故なら、到達地点に希望があるからではなく、そこに向かう過程に希望があるからです。困難に立ち向かうことは、心の中に希望が生まれている証拠です。希望の彼方に青い空が見え始めます。
 つまり気持ちの持ち方次第で見える風景は違いますし、青空の彼方に希望を持って旅をすることが出来るのです。

 泣いて立ち止まったとしても、自分の心に打ち勝って再び立ち上がり、立ち向かうことで、人生は希望を持って青空の彼方まで旅することが可能となります。
 人生には泣いている時間も、立ち止まって震えている時間も十分にあります。でも一歩を踏み出さないと、その場に立ち尽くしたままでは本来見られる筈の素敵な風景を見ることは適いません。
 明日の風景を違ったものにするために、目指しているものに何度でも挑戦しましょう。

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