集会に偶然参加してくれた高校の同級生の女性。卒業以来会っていないので、かなりの年月が経過していることになりますが、ミニ集会に来て私だと分かったようです。話の内容を聞いた感想として「私達の未来を感じる」と嬉しい言葉がありました。何の未来なのかと尋ねると、「私達の世代から未来を切り拓こうとしている人がいることに輝きを感じます。未来を託すことのできる人がこの地で現れたような気がします。私達の未来のために応援したい気持ちが芽生えているので何でもお手伝いをします」との反応でした。
未来を託す。素晴らしい言葉だと思います。私達は輝く未来を描くことが生きることが出来ます。やって来ない未来、託せない未来しかなければ、希望は失われることでしょう。
明日は自分一人でも生きることが出来たとしても、未来を一人で生きることは出来ません。未来は周囲の仲間と一緒に生きる環境を築くことで拓けます。今の地域に未来が見えないとすれば悲しいことです。未来が輝くものであることを示すリーダーの存在が必要ですし、そのような人がいる場所は光り、希望の明日は必ずやって来ます。
和歌山市に元気がないのは未来を見つけることが出来ないからです。若い人の就職する場所が少ない。経済環境が良くない。活気のある場所がない。これでは素晴らしい明日の足音は聞こえてきません。
現実が厳しいものであっても、素晴らしい明日を感じさせてくれる希望があれば頑張れます。私が高校1年生だった頃、アメリカンドリームを実現させた映画「ロッキー」がアカデミー賞を受賞しました。当時、無名の俳優だったシルベスター・スタローンの言葉は、今も大切な言葉として刻んでいます。
「明日は今日より素晴らしい」
どんな未来が待っているとしても、まだ経験していない明日は今日よりも素晴らしいのです。勿論、明日を素晴らしいものにするためには、今日を生きて明日を迎える心掛けが必要ですが、その心構えがある限り素晴らしい明日はやって来ます。
今日、高校時代の同級生とミニ集会で会い、連絡を受けたのは全くの偶然ではありません。きっと以前から、2007年2月18日という日に会って、未来を待っていた時代を思い出すことになっていたのです。
普段はどんなことがあっても決して忙しいとは思わない私ですが、大きな未来に挑戦している現在、流石に忙しいと感じていました。忙しいと感じていることが文字通り心を滅ぼし始めていたのです。忙しいと思うと明日を待つ姿勢がなくなります。そして寝たと思ったら直ぐに、待っていない朝がやって来ました。このように感じる朝は、今日よりも素晴らしい明日ではありません。素晴らしい明日は、心が先回りして朝を待ち望んでいる姿勢が連れて来るものです。
早く大人になりたいと思っていたティーンエイジの頃、確かに輝く未来がありました。今判ったことですが、輝く未来とは心の問題なのです。心の持ち方次第で未来は輝くものになるのか、曇ったものになるのかを分けてしまいます。
若い頃や溌剌としている時は、確かに「明日は今日より素晴らしい」のです。ところが不安感に支配されると、輝く未来は姿を消し去ります。人が素晴らしいのは、不安感を克服し希望を見つけたなら、再び素晴らしい未来を見ることが出来るのです。
希望は未来を引っ張ってきてくれます。不安は心を不安感のある今日のまま閉じ込めてしまいます。素晴らしい未来は希望が運んでくれるもので、希望とは心のあり方次第なのです。
心に希望を持つこと。全ての明日はここから動き始めます。
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