307.幼稚園歴史の終わり
 和歌山市の人口が減少していることに伴い子どもの数が少なくなり、平成15年1月、突然、和歌山市教育委員会から平成17年度末でふたつの幼稚園を廃園する通知がありました。
 通知を受けた幼稚園の保護者は存続のために署名活動を開始し、わずか3週間ほどで7万人から存続を願う署名を集めたのです。
 和歌山市議会は統一地方選挙により改選されていますが、前回の改選は平成17年4月のため、廃園の決定や署名については私の当選前の出来事だったので知る由もありませんでした。

 初当選後、保護者の皆さんたちと廃園問題について懇談や個別での話し合い、教育委員会との協議、そして本会議での議論など繰り返してきたことが思い出されます。市議会でいきなり直面した大きな問題でした。廃園問題とは、公立での教育問題、少子化時代の学校教育、保護者と教育委員会との関係、市役所と教育委員会との関係など、様々な課題が横たわる問題でした。
 当選させていただいた後、直ぐに対応が迫られた大きな課題だったのですが、廃園に至る過去からの議論と経緯を知らなかったため対応は難しいものでした。同僚市議会議員や先輩市議会議員との話し合いや対応策の検討など毎議会で行い、保護者や地元が知らない内に公教育の場を奪う決定をしたことに疑問を感じ、反対の立場に立った発言を行ってきました。ただ一度決定した廃園を押し返すことは適いませんでした。

 最終的には平成17年3月議会で公立幼稚園に関する条例改正が可決され廃園が決定しました。この時の保護者の気持ちは痛いほど分かりましたが、どうすることも出来ない無力さを感じたものです。
 ただ二つの公立幼稚園を廃園するに当たって、当時の厳しい状況の中で最大限の条件を確保出来たと思っています。
 西山東幼稚園を廃園する代償として、和歌山市で始めての幼保一元施設を設置することとなりました。現在まで計画は進展し、平成18年度には実施設計予算が計上され、平成20年春の開園予定となっています。この統合施設は、廃園となった西山東幼稚園の跡地に建設されることになりました。
 大新幼稚園は近隣に公立幼稚園があることから統合施設建設は適わなかったのですが、大新幼稚園に隣接する大新小学校校舎の建て替え、老朽化した体育館とプールのリニューアルを実施することになりました。多くの大新園児が通学することになる小学校を建て替えすることは、廃園の渦中に巻き込まれた子ども達の教育環境を整えることに意味を見出せるものです。
 また地域にとっては、災害にも対応できる最近の校舎に生まれ変わることは、学校と保護者、そして地元を結びつける拠点と成り得ると思っています。

 園舎は消えますが、思い出と強い結びつきは消えるものではありません。そして違う形で私達の前にそれぞれの教育施設が誕生することになります。和歌山市が財政難であり余裕がない状態だったこと。そして一度決定した廃園から何かを勝ち取り、再出発させるための本当に厳しい選択だったことをいつか分かって欲しいと思います。

 経験の少ない議員達が、和歌山市においても例外なく最も課題となっている少子化問題と教育問題に関わり、真剣に考え提言したのです。最初に直面した大きなこの問題を通じて成長出来たのではないかと思っています。
 保護者の皆さんと同じように考え、思い悩んで日々が蘇ります。
 ふたつの式典、終園式と廃園式は何人もの人の思いが宿った、心に残る素晴らしい式典となりました。挨拶に立った空教育長は「一生忘れることの出来ない式典となりました」と話しいたように、参加者も同じ思いを共有している筈です。
 3年間関わってきた廃園問題ですから複雑な思いがありますが、今はただ保護者と園児のきれいな思いに幸せが宿って、この地域を発展させてくれる原動力になることを祈るばかりです。
 実行委員長達保護者の皆さんが式典の最後に見せた涙を、決して忘れることはありません。式典は、奇しくも和歌山市では最初の桜開花宣言があった前後、咲き始めようとする桜が複雑な思いを代弁しているようです。ただ人生の季節は暖かい春に向かっているのは疑いようもない事実です。もう次の時代はそこまでやってきています。

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