300.相対的価値観
 私達が他人と共生して生きるためには、絶対的価値観ではなく相対性の価値観を持つことが必要となります。相対性とは「Never say never」(米国元副大統領ヘンリー・キッシンジャー氏)の言葉に代表される価値観です。これは「世の中には絶対起こらないことはない」と訳せるように、世の中には絶対的なものはないと言うことです。
 自分の価値観だけが絶対的だとすると敵対関係になりますが、自分意見と相手の意見の違いを認めることで何とか妥協出来る方策を見つけることが民主主義の根本です。多数決とは自分を含む多数の意見を押し切ることではなく、相手の価値観を尊重し認めた上で多数の意見を実行するものです。このような相対主義を相対的絶対主義とも言いますが、現代社会に生きる私達は絶対主義ではなくこの考え方が基本となります。
 
 身近な事例ですが、相対的価値について次のようなケースから伺い知ることが出来ます。
 ある方の所有する敷地に電柱を建設することになりました。地域に電気をお届けするためには電柱を建柱することは不可欠ですから、全ての地域の方々の協力が必要となります。
 ところが、ある一軒が自分の敷地内に電柱を建てられるのは嫌なので承諾を拒否したとします。設計上違う場所でも建柱出来るのであれは設計変更して対応が可能ですが、地形や強度の問題から適切な場所が一箇所だけとなれば、どうしてもその土地の所有者の方に承諾をいただく必要が生じます。
 しかし所有者から「電柱を建設した場合、絶対安全だと言えるのか。台風で倒れないと言えるのか。電線が切れて人に接触した場合、責任が取れるのか」など言われることがあります。その場合答えに窮することになります。世の中に絶対はありませんから、電線は絶対切れないと言い切れませんし、電柱が倒壊しないとも言い切れません。「かなりの確率で安全性に問題はない」と言えますが、「絶対に安全か」と再度問われたら、それ以上言い返す言葉はありません。
 
 お互いに歩み寄れないのは相対的絶対主義の価値観を持っているためです。世の中に絶対のものはないのに、建柱に対して絶対を条件とすることから議論が噛み合わないのです。
 安全性に疑問を感じているとしても、現代の社会通念上、日常に溶け込んでいるものは基本的に安全であることを共通の前提にした方が歩み寄れそうです。ただ昨今、鉄道や耐震構造、情報管理などで安全性に疑問を感じるケースが多いため、何事にも絶対性を求めることが多くなっているのは事実ですが・・。

 その場合、社会全体の利益や地域が受ける利益と個人が感じる安全性を比較して、それでもやっぱり個人の安全を優先すると判断するのか、社会が享受する利益を優先した方が良いと考えるのか、話し合いの結果と個人の判断に委ねられることになります。どちらの結論を得たとしても、考えたかは相対的絶対主義の考えに立つべきです。
 社会の利益を優先すると判断した場合は、個人の感じる安全性に対する不安を解消するため最大限の対策を講じて建柱することが必要となります。
 個人の安全性を優先させる場合なら、周辺の方はその人が感じている不安感を理解し、建柱による道路狭隘などの地域社会としての問題を受け入れる必要があります。
 相対的絶対主義においては、お互いが歩み寄り一方だけが利益を受けることにならないのです。結果として謙譲する社会を実現したいものです。

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